限りない安心をお客様へ

小島飼鳥店から株式会社コジマ 100年の想いと感謝

平素は皆様より多大なるご愛顧を賜りまして心より感謝申し上げます。

2016年、株式会社コジマは100周年を迎えました。

今日に至るまでお客様の日々のご愛顧がなければ
100周年を迎えることが出来なかったと強く実感しております。

この場をお借りしてすべてのお客様に心より御礼を申し上げます。

そして、私たちコジマグループの企業理念である

「限りない安心をお客様へ」

この言葉をさらに進化させ、

「命」あるペット達とそのご家族へ「幸せ」をご提供させていただくために
私たちコジマグループ一同、これからの未来へ邁進してまいります。

株式会社コジマ 代表取締役会長

小島 章義

出店年表
2016
創業100周年を迎える
2016
5
横浜本牧店 移転
4
アリオ柏店
3
西篠崎店
2012
公式ホームページ・モバイル向けサイトリニューアル、スマートフォンサイトオープン
2014
10
市原動物病院
7
アリオ蘇我店
2013
12
西新井動物病院
12
アリオ西新井店
11
アリオ市原店
4
津田沼動物病院
4
フォルテ津田沼店
2012
10
六本木店
4
浦和動物病院
2011
東日本大震災で被災地のペット支援活動実施
2011年3月11日、甚大な被害を引き起こした東日本大震災。被災地は未曾有の危機に陥ったが、それはペット達にとっても同様だった。株式会社コジマでは、ペット達の命をなんとか救いたいという思いから、同年4月初旬には小島章義会長の指揮のもと、被災現場の状況確認と救護活動の支援及び、今後の活動方針を探るため、東北地方を訪問。ライフラインも閉ざされ、余震が続く中で、4月上旬から宮城県石巻地区動物救護センターで支援活動をスタートさせた。また、被災地の中でも原発事故による影響で、ペットの救援活動が1番立ち遅れていたのが福島県だった。福島市「あづま総合運動公園」の仮設のペット用避難所に続き、郡山市に仮設住宅ペットコテージを設置。そして、立ち入りを禁じられた福島第1原発から半径20km圏の「警戒区域」から保護された多くのペットを保護するために、郡山市近郊の三春に第2のシェルターを整備。これらの建設・運営にあたったのが、コジマが中心となって設立した「東日本PET緊急救援チーム(EJ-Pert)」だった。そして数多くのコジマの従業員たちが、ボランティアとしてペットたちの救護活動に力を尽くしてきた。
被災地での支援活動
東日本PET緊急救援チーム(EJ-Pert)
2007.6
株式会社ひごペットフレンドリーをグループ化により
滝信良(45)が代表取締役社長に、
株式会社コジマは上田佳範(56)が五代目代表取締役社長に就任
そして四代目・小島章義(42)が両会社の代表取締役会長に就任
さらなる業績拡大と永続的な収益確保、また変化のスピードに対応すべく2007(平成19)年6月小島章義が代表取締役会長に、上田佳範が代表取締役社長に就任。その後、リーマンショック、東日本大震災などの経済的、社会的危機を乗り越える。「限りない安心をお客様へ」という企業理念を掲げ、取引先企業との協調協働のもと、ペット業界の牽引役として未来に向けて邁進を続けている。
2010
12
アリオ深谷店
9
橋本動物病院
9
アリオ橋本店
7
国分寺店
6
アリオ北砂店
6
府中動物病院
4
府中店
2
つくば動物病院
2008
11
横浜本牧店
11
モラージュ菖蒲店
10
イーアスつくば店
3
亀戸サンストリート店
1
田端店
左から上田氏、小島章義氏、滝氏
2007.3
伊豆高原ドッグフォレストを事業継承
風光明媚な観光地に動物とふれあえるテーマパークとして開業していた「伊豆高原ドッグフォレスト」は運営企業が倒産することになり、管財人である弁護士によりコジマに事業継承を委ねられた。当時230頭の犬たちが取り残されていたことからコジマはこれを受け入れた。テーマパークとしては継続が困難になったことから、「伊豆高原ドッグフォレストペットケアセンター」に業態を変更することとなり、また同センターは東日本大震災で被災し、飼い主が見つからないペットを預かる拠点としても活用された。
2007
11
亀戸小動物館(亀戸本店へ移店)
3
北千住店
伊豆高原ドッグフォレスト
2006
コジマ通信販売オンラインオープン
WEBサイトの整備やWEB通販事業にも、コジマはいち早く取り組んできた。
2006
3
アリオ亀有店
2001
公式ホームページオープン
店舗でご提供する全てのCAを写真付きで紹介するなど、その手法も画期的だった。
※コンパニオンアニマルの略
コジマウォーカー創刊
コジマウォーカーは、コジマで働くスタッフ全員がコジマを理解し、安心して業務に邁進できるよう、さまざまな情報を発信して、スタッフが職場で最大限に輝けるよう後押しをする社内報。コジマウォーカーはコジマで働くスタッフのご家族にもお届けしておりコジマでどのような仕事をしているかをご家族に知ってもらいご家族の安心を支える役目も担っている。
2005
12
京都動物病院
12
目黒八雲店
10
アリオ川口店
2004
12
蕨錦町店
9
明石店
4
市川店
4
和光店
2003
5
新宿店
1
八王子動物病院
1
八王子店
2002
12
松戸店
11
竹ノ塚店
10
青戸店
6
浦和店
4
海老名店
2
花小金井店
2001
7
東浦店
5
日暮里店
コジマウォーカー創刊号
2000
小島章義(35)が四代目社長に就任
精力的に職務遂行していた小島章義が、2000(平成12)年6月代表取締役社長に就任する。
新本社ビル
1995.4
ペットの専門学校「コジマグルーミングカレッジ」開校
ペットのことをきちんと理解してケアできる人材を輩出するべく開校した専門学校「コジマグルーミングカレッジ」。トリマーを育てる「美容コース」と、動物病院などで働くための「動物看護コース」の二種類を開設し、人材育成に努めた。2008年3月に閉校。
2000
11
南砂動物病院
11
南砂店
10
三好店
10
大宮店
4
利府店
3
守山店
1999
11
名古屋みなと店
9
倉敷店
7
秦野店
7
岩槻店
7
お台場店
1998
11
福山店
11
郡山店
10
尾平店
9
磐田店
4
猪名川店
1997
11
相模原店
11
成東店
7
伊丹店
6
連島店
4
目黒店
4
川越動物病院
4
川越店
1996
11
四日市店
4
茨木店
3
京都店
3
池袋パルコ店
コジマグルーミングカレッジパンフレット
1995
全新規事業から撤退
1991
多店舗展開が幕開け、出店の度に渋滞に
1991(平成3)年11月の「中野店」「洗足店」を皮切りに、1993(平成5)年には2店舗、その翌年には5店舗と首都圏を中心に支店を出店していく。支店がオープンするたびに、周辺の道路が渋滞し、「コジマ渋滞」と呼ばれるほどの集客力を誇った。その後店舗は増え続け、株式会社コジマ単体では全国43店舗(2016年11月現在)までネットワークが広がっている。
テレビ出演をきっかけに知名度向上、売り上げ増
テレビ東京の番組でペットの大型店として紹介されると、一気に来店客が増加。またTBSの朝のワイドショー「モーニングEye」内にて紹介され「ペットの専門店コジマ」の知名度は飛躍的に向上した。
1995
6
新所沢パルコ店
5
厚木パルコ店
4
船橋店
1994
9
杉並動物病院
9
杉並店
9
一之江店
8
津田沼パルコ店
7
三軒茶屋店
7
阿佐ヶ谷店
7
新小岩店
7
志村坂上店
4
千葉パルコ店
4
高井戸店
2
足立動物病院
2
足立店
1993
12
板橋店
3
練馬動物病院
3
練馬店
1992
11
洗足店
1991
11
中野店
たくさんのお客様にご来店いただけるようになった。
1989
亀戸に本社ビル完成
いよいよ7階建てのビルが完成する。1階が店舗、2階は併設の動物病院、3階が接骨院とオフィス、4階~7階は住居というフロア構成だった。1階の店舗「ペットの専門店コジマ」は、80坪の広さを持ち、常時70~80頭ものペットを展示販売できる大型店で、動物病院を併設するなど、当時としては画期的なペットショップだった。
株式会社コジマを設立
小島紀一郎は、それまで小島家の個人商店だった「小島鳥獣店」から、屋号も新たに「株式会社コジマ」を設立する。株式会社化によって経営の近代化を図り、企業としての成長と発展を追求していく。
小島紀一郎(42)が三代目社長に就任
(二代目・新一の死去に伴い)
二代目・小島新一の死去の後、跡を受け継いだのは、長男の小島紀一郎だった。祖母に溺愛されて幼少期を過ごした紀一郎は、当時から利口で発想力豊か、しかも独立心が旺盛な子どもだったという。獣医師として茨城県水戸市で動物病院を開業していた紀一郎が東京に戻り、三代目となってからは、持ち前の独創性と実行力を発揮し、ペット業界に革新をもたらしていくことになる。
1989
4
亀戸動物病院
4
亀戸本店
三代目社長 小島紀一郎氏
亀戸店開店当時
1987
香取神社前に仮店舗
「小島鳥獣店」を取り壊し、新たにビルが立つまでの約2年間、亀戸香取神社の参道に面した仮店舗で営業を続けた。ペットは生き物であり、ビル建設の間でもお客さまのアフターフォロー、ペットのケアが必要だったのだ。小島紀一郎は店舗の大型化を目指し、現在の亀戸本店に当たるビル建設に取りかかる。
亀祈願が流行
店からほど近い亀戸天神社は学問の神として知られる。一時、境内の池に亀を放すとご利益があるとの噂が広がり、学業祈願に訪れる参拝者の多くが亀を買い求めた。
香取神社
亀戸天神社
1949
手乗りインコを開発
人の手に乗り、おしゃべりをするセキセイインコを、戦後に「手乗りインコ」として販売したのもコジマが最初だった。
戦後に犬の販売開始
1949~1950(昭和24~25)年頃、東京の下町にたびたび説教強盗が出没し、世間を騒がせた。当時は治安も悪く、事件の影響もあったことから、番犬の需要が増え、子犬を仕入れた翌日には売り切れるという状態が続くほどだった。
説教強盗とは……
「泥棒除けには犬を飼いなさい」「戸締りは厳重におこないなさい」と親切にも忠告して、金を奪う強盗事件が相次いだ事件。この影響で犬を飼う人が増え、犬の値段が高騰した。
1944
小島新一(25)が二代目社長に就任
小島鳥獣店に屋号変更
終戦の翌年に小島新一が台湾から復員すると、まだ焼け野原だった亀戸の地にバラック小屋を建て、商いを再開。それを契機に、小鳥以外の動物も扱い始めていたことから「小島鳥獣店」と屋号を変更した。
初代社長・小島一郎が東京大空襲で死去
1916
東京巻毛を開発
頭部や羽などに巻き毛が出ている小鳥を芸物と呼ぶが、小島一郎は芸物のカナリヤと白色カナリヤをかけ合わせた種の繁殖に成功。白色巻毛を完成させた。そのカナリヤを「東京巻毛」として売り出した。
御前講義
皇居内でクジャクを飼育するに当たり、その飼育方法について講釈する御前講義の講師役に小島一郎が抜擢される。菊の御紋の旗をなびかせた黒塗りの車が、亀戸まで送迎にきたことから、付近の住民も大騒ぎするほどだった。
初代・小島一郎
小島一郎は真面目で厳格、情に厚く、皆から信頼される人柄だった。子どもたちのしつけにも厳しく、三男・小島正記は幼少期を振り返り、「冬の厳しい寒さの中、雪の日であろうと一人で毎朝、はだしで香取神社まで参拝をさせるほどだった」と述懐している。商いは繁盛したようで、東京でも有数の小鳥店の一つにまで数えられるほどだった。そのため36歳の時には、東京飼鳥獣商協同組合の組合長に就任している。
小島飼鳥店創業
新潟出身の小島熊吉は一代で東京・亀戸の地に「小島友禅工場」を築くが、その長男・小島一郎はいつも着物の袖に小鳥を忍ばせてかわいがっていたというエピソードが残るほど、無類の鳥好きだった。一郎はその小鳥好きが高じて、家督を弟に譲り、「小島飼鳥店」を開く。これが現在まで続くコジマの歴史の始まりである。当時は、富裕層の趣味でカナリヤの品評会、ウグイスやメジロ、ホオジロの鳴き合わせ会、チャボの品評会などが盛んに行われていたため、これらの種の愛好家が多く、店舗で扱っていた小鳥も同様の種が中心だった。なお、それまで家業であった染め物工場は、より広い敷地を求めて江戸川区平井に移転。現在の亀戸本店の道路を挟んで向かいにあった工場跡地には、禽舎が建てられ、小鳥を繁殖飼育していた。その小鳥の世話をするために常時6~7人の住み込み従業員がいたという。
当時の友禅工場
昭和33年7月23日、台風11号による大洪水。亀戸駅周辺の様子。
初代・小島一郎
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