KOJIMA's Cat Cafe

コジマのねこカフェ「ミネット」

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ネコのススメ

ネコのススメ
それぞれの猫種について詳しくなりましょう。
①ドメスティックキャット
猫の種類の名ではなく家畜猫、家庭猫という意味を表す。日本語でイエネコとも言うこともあります。
同種交配の純血種、別種交配の混血種、所属不明の雑種など家庭内で飼われている猫であればすべてドメスティックキャットとなります。

②アビシニアン(原産国:エチオピア)
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アビシニアンの起源には諸説あり、どの説にも明確な証拠はない。
・約4000年前、古代エジプトの壁画や出土品に描かれていたネコの特徴がアビシニアンに似ていることから、エジプト原産という説。
・1868年のイギリス・エチオピア(旧名アビシニア)戦争から帰還したイギリス兵が持ち帰った説。この時の猫の名が『ズーラ』というメスであったという話も伝わっており、アビシニアンの名もこの時付けられ、長い間通説とされていた。しかし、近年この説にも懐疑的な見方が増えてきている。
・近年の遺伝子分析研究によりインド大陸ベンガル
湾周辺の土着猫が祖先である説。
オランダの自然史博物館にあるアビシニアンと大変よく似た剥製は1830年代中ごろにインドから来たもので、イギリスは古くからインドと交易があるため、この説は現在、最も有力である。

アビシニアンはイギリスにて、1870年頃キャットショーデビュー。

イギリスの猫血統管理団体であるGCCFに品種登録。
1927年頃、フランスにて繁殖スタート。
1935年頃、アメリカにて繁殖スタート。
その後、デンマーク、スウェーデン、オランダ、オーストラリア、日本に渡り、20世紀初頭には世界中の猫血統管理団体に登録されていった。

③アメリカンカール

アメリカンショートヘア(原産:アメリカ)
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10世紀ローマ人が『ヨーロピアンショートヘア』をイギリスに持ち込み『ブリティッシュショートヘア』と呼んだ猫種がいた。
今からおよそ400年前の開拓と植民の時代、1620年にメイフラワー号によりピューリタンがイギリスからアメリカへ上陸。その時一緒に連れてきた短毛のネコが『アメリカンショートヘア』のルーツだと言われている。
初めはペットではなく、穀物を荒らすネズミ退治のためだった。ペット向きではない強い面は当時ハンターとしては大変優秀で、多くの農場や家庭で飼われた。彼らの子孫は交雑があったにもかかわらず、50ドルから100ドルで売られていたと言われている。
この時代、愛玩目的ではないため、異種交配が普通にあり、そのおかげでこの猫種は遺伝疾患の少ない頑健な体を得ることができたと考えられている。
その後、アメリカの農業が大規模化し、穀物管理の手法が発展すると、猫たちはその役目を失った。しかし、特徴的な銀灰色のタビーに魅せられた愛好家によって、品種確立を目指して育種されることになった。
アメリカでは1895年のキャットショーでデビューし、カタログが1000ドルもの値段がついた。翌年のショーでは2500ドルとさらに高値が付くほど人気が上昇していた。
CFAは、1906年創設時に登録した5猫種のひとつになったが、名前は単に『ショートヘア』とされ、他の短毛猫とひとくくりにされていたようである。

その後、他のショートヘア種がアメリカに入るようになり、混同を恐れて『ドメスティックショートヘア』に改名したのだが、雑種のイメージが強く変えた途端人気はガタ落ち。ブリーダーたちは異種交配禁止などイメージ回復を試みたが失敗。
1966に打開策の一つとして『アメリカンショートヘア』としたところ、あっという間に人気が復活し、「キャット・オブ・ザ・イヤー」を受賞するに至った。
日本に入ってきたのは1980年以降とされている。

日本ではその飼いやすさと姿から1990年代後半頃より流行し始め、現在ではごく一般的な猫の品種として定着し、「アメショー」と呼ばれ多くの人に愛されるようになった。

⑤エキゾチック(原産:アメリカ)
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1950年代にアメリカで二つの異なる目的において繁殖が行われた。
1つ目は、「ペルシャ猫にアメリカンショートヘアの毛色を与えるという目的アメリカのブリーダーがペルシャとアメリカンショートヘアとの交配を重ねた。この異種交配は困難を極めたが、アメリカの繁殖家ジェーン・マーティン生まれた短毛の子猫たちの魅力に着目し、新しい猫種として登録されるように働きかけ、1966年、CFA(アメリカ・キャットファンシャーズ協会)に登録された。当初は銀の毛色のみとするとして「スターリング」という名前が付けられたが、他の毛色も生まれることから、「エキゾチックショートヘア」という名前に変更された。
2つ目「茶色い毛のペルシャ猫を作出する」という目的である
同じ時期のアメリカで、キャロライン・バッセイという繁殖家が、茶色い毛のペルシャを作出しようと計画し、ペルシャとバーミーズを交配させていた。生まれてきた子猫は黒っぽい毛色ばかりで、計画は失敗に終わったものの、短毛に潰れた丸い顔の子猫たちの予想外の可愛らしさに、この個性が多くの人に愛されるのではないかと考え、正当に新しい品種として登録したいと働きかけた。その際、倫理的にも正当に新しい品種として登録したいと考えバーミーズとペルシャから生まれた子にアメリカンショートヘアをかけあわせることをエキゾチックショートヘアの血統の条件とし、この考え方が広まっていった。こちらもエキゾチックショートヘアの異種交配を確立させていった
この時代、ペルシャの短毛化やアメリカンショートヘアとの交配で銀の毛色を作出する目的で、多くのブリーダーが異種交配を試みていた。しかし、好ましくない繁殖や血統書の不正などで突然変異を装うなど、不実な繁殖が横行していたとも言われている。
そのような理由からか、ペルシャとアメリカンショートヘアの交配に反対するブリーダーも多く、血統登録団体に認定されるのに時間がかかったようである。エキゾチックショートヘアが確立したのは1966年に入ってからだといわれている。

エキゾチックショートヘアの交配から長毛の猫が生まれることがある。その場合、団体によって規定が異なり、『ペルシャとして登録される』、『ロングヘアード・エキゾチックと呼ぶ』、『エキゾチックロングヘア」とする』など色々ある。

⑥エジプシャンマウ

⑦オシキャット

⑧オリエンタル

⑨キムリック

⑩コーニッシュレックス

⑪コラット

⑫サイベリアン(原産:ロシア)
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「サイベリアン=シベリア」の意味であり、ロシア東部で自然発生した猫種
ロシア土着の猫とされているが、その起源はよくわかっていない。
近年の遺伝子解析による研究では、ウラル山脈をはさんで存在したペルシャ
やアンゴラと同じ祖先を持ち、紀元1000年頃には存在したと考えられており、全ての長毛種の祖先の可能性が考えられている。
その昔、修道院や農家などでネズミ退治のために飼われていたとされ、民話ではネズミ退治でよく登場する。何百年も前からおとぎ話や子ども向けの本に出ており、国宝として国民に深く愛されてきた。
「サイベリアンフォレストキャット(シベリアの森に住む猫という意味)」と呼ばれることもある。


 1871
年、イギリス(ロンドンのクリスタルパレス)で開催された最初のキャットショーに初めて出展され人気を得たが、当時のロシアは他国との交流や交易が制限されていたため、入手するのが大変難しい猫として知られていた。
そして、ロシアでは猫をペットとして飼うという認識がほとんどなかったため、繁殖はほぼされず、1980年代からようやく血統管理と本格的な品種改良が実施されるようになった。

輸出記録では、1987年以降、サンクトペテルブルグのキャットクラブからとなっている。
当初、輸出はポーランドやドイツなど政治的に近い国やスカンジナビア3国のように地理的に近い国に限られていた。
冷戦が終結した翌年、1990年にアメリカのブリーダーによって文化交流プログラムの一環として初めて数頭がアメリカの繁殖家に贈られた。
輸入後は計画的に繁殖され、1992年にTICAが新猫種の予備登録を行い、1996年には正式に猫種として登録。
2006年にCFAで公認猫種になった。
歴史は随一の長さを誇るサイベリアンは猫の品種の中でも最近になって認知されはじめた品種ということになる。


⑬シャム(原産:タイ)
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シャム猫、英語名サイアミーズ(Siamese)というタイ原産の短毛種の猫。
アユタヤ朝の古書によれば1300年代からタイ王室のみで飼育、門外不出とされてきました。

1884年タイのイギリス総領事だったゴールド氏が退官の際、王室よりペアのシャム猫を贈呈されたのが世界に知られるきっかけとなります。
翌1885年にロンドンで開催されたキャット・ショーでシャム猫が賞を総なめにし脚光を浴び、1978年にはアメリカに輸入され人気が拡大、アメリカでは最も人気の高い猫として愛されてきたようです。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、第一次・第二次世界大戦の時代になると、食糧難や生活の不安定のため、絶滅の危機に瀕してしまいました。
すでに世界中に広がって飼育されていたシャムでしたが、
ペルシャ
などほかの猫種へ人気が移っていたことも減少に拍車をかけました。
戦後、著しく個体数が少なくなったシャムを復活させるために、交雑が行われた時期がありました。
この時の交雑でシャムは大きく分けて2つのタイプに分かれることになります。
ほかの猫種に比べて「V字型の頭と細身の体」というプロポーションのシャムでしたが、交雑によりソリッドな容姿がより一層、強調されるようになったのです。
このタイプのシャムを「モダンスタイル」と呼び、交雑前のやや丸いスタイルに近いものは「トラッドスタイル(オールドスタイル)」と呼ばれています。
キャットショーでは「モダンスタイル」ばかりが評価される時代が続いており、この偏りに危機感を感じた繁殖家たちが、1980年頃からドイツやイギリスを中心に、伝統的なスタイルの保存が必要という視点から、「トラッドスタイル」のシャムについても育種が続けられました。
熱意ある繁殖家の努力により、「オールドスタイル」のシャムは「タイ」という新しい名前で、2009年にTICAに登録されることになりました。



⑭シャルトリュー

⑮シンガプーラ(原産:シンガポール)
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もともとシンガポールに生息していた野生の猫なのだが、現地の人に興味をもたれる事は無く、シンガポールの下水溝で暮らし、ねずみ等を狩って生活していた事から「ドレインキャット」(下水猫)と呼ばれていた。
1970年代初め、メドゥ夫妻は夫・ハルの赴任する東南アジアで、現地の動物保護団体SPCAからティックド・タビーの小さな猫を引き取り、他の数頭の猫たちと共に暮らしていた。
1975年、彼らが任期を終えて帰国することになった時、5頭の猫たちを連れてアメリカに戻ることになった。
メドゥ夫妻がアメリカに帰国しシンガプーラの育種を始めてから、わずか6~7年という異例の早さで、1979年にはTICA、1988年にはCFAのチャンピオンシップにも登録されることになった。

その後キャットショーに出陳され成猫であっても大変小さく、独特のセピア色のティックド・タビーという美しい毛色と猫らしくない人懐こさで、わずかな間に人々の心を捕え、「小さな妖精」と呼ばれ多くの人に慕われることとなった。
 現在公認されている純血種の中では、世界最小の猫種
となっている。

※1987年になると、メドゥ夫妻から早くにシンガプーラを譲り受けた繁殖家ジェリー・メイスもシンガポールを訪れ、新たに基礎猫を輸入して、アメリカへ連れ帰った。この時、メイスはメドゥ夫妻によって、アビシニアンがシンガポールに持ち込まれた記録を発見してしまった。アビシニアンはシンガプーラとよく似た猫であり、交雑が行われていたとすれば、土着の純血猫ではなくハイブリッドである可能性が出てくる。
実は、メドゥ家には先住猫としてバーミーズとアビシニアンがいたことから、シンガプーラは土着の純血猫ではなくバーミーズ、アビシニアンが交雑したのではないかと疑問を持たれたことで、いまだ決着していない議論になっている。
この件を調査したCFAは、バーミーズあるいはアビシニアンが交雑されていたとしても、メドゥ夫妻がシンガポールの捨て猫を譲り受けて交配したことは間違いのない事実として、シンガプーラの登録を取り消すことはなかった。


⑯スコティッシュフォールド

⑰スノーシュー

⑱スフィンクス

⑲セルカークレックス

⑳ソマリ(原産国:イギリス)
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ソマリはアビシニアンの長毛種だが、現れ始めたのは1950年頃からと言われている。
第二次世界大戦後、多くの純血
種が激減。種の復活のため、異種交配が行われた時代。

アビシニアンも当時イギリスに12匹しか残っておらず、長毛種も異種交配により生まれたと考えられ、繁殖者はアビシニアンの長毛に否定的だった。
アビシニアンのブリーダーは、長毛タイプはショーには出せない為、一般の飼い主に譲ったりしていた。

1963年、カナダの血統登録団体CCAが主催するキャットショーで、繁殖者メアリー・メリングの悪戯で、本来出さない長毛のアビシニアンを審査用ケージに入れ、ショーキャットたちの混ぜて置いた。
これを発見した審判員ケン・マッギルが大声をあげ、ブリーダーたちは爆笑したが、マッギルはこの長毛のアビシニアンの魅力に声を上げていたのだった。マッギルはメリングから長毛のアビシニアンを購入し、ソマリの育種が始まった。

その頃、別の場所、アメリカではアビシニアンの繁殖家イブリン・メイグが、生まれた子猫「ジョージ」をペットとして一般の飼育者に譲渡していた。しかし、猫アレルギーで飼えなくなり、猫は保護施設に。メイグは猫の保護活動もしており、たまたまいた長毛のアビシニアンの美しさに魅入られ、さらにその猫がジョージであることを知った。
アビシニアンの長毛・短毛の評価の差を知り、ロングヘアのアビシニアンを受け入れられるよう育種が始められた。

イブリンは長毛のアビシニアンをエチオピアの隣国ソマリアからとって『ソマリ』と名付け、繁殖活動を続けた。
1972年、アメリカでソマリファンが急増し、ソマリキャットクラブ創立。認可に力を入れるが雑種の疑いから認可されなかった。
1976年、場所は変わってカナダのマッギルの長毛アビシニアン、他4匹の猫を対象にウォルターが大々的な血統分析を行い、全てアビシニアンの遺伝子のみであったと証明した。

この分析結果はアメリカのソマリキャットクラブから「Genesis(創世記)」と呼ばれている。
1978年、CFAはアビシニアンとは別の独立種として認定した。
なお、近年の遺伝子解析による研究から、ソマリが長毛になったのは異種交配が原因ではなく、突然変異であったことがわかってきた。


㉑ターキッシュアンゴラ

㉒ターキッシュバン

㉓デボンレックス

㉔トンキニーズ(原産国:ミャンマー)
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トンキニーズの起源は諸説あり、1800年代に行われたキャットショーに出場したシャムが始まりと言う説。
1930年代にアメリカの軍人であり、愛猫家であったジョセフ・トンプソン氏が、ミャンマーから持ち帰り「ウォン・マウ」と名付けた1匹の猫が始まりと言う説などがある。
しかし、そのいずれも明確な記録が残っていないため、記録が残っている1950年代にシャムとバーミーズを交配させて誕生したと言うものが原型と言われている。
最初の繁殖は1950年代のニューヨークでペットショップを経営していたグリーア氏が「黄金のシャム」の作出を試みて、シールポイントのシャムと、セーブルのバーミーズを交配、チョコレートポイントのトンキニーズが誕生した。その後、1960年代にカナダとアメリカでほぼ同時にブリーディングが再開。
品種改良が進み人気が上昇、1971年にCCA(カナダ猫協会)が世界初、トンキニーズを公認。その後、1979年にCFATICA公認となった。
トンキニーズは当初、トンカ二―ズという名称になるはずだった。
「South Pacific(南太平洋)」というミュージカルに登場する人種の壁を越える島「Tonkanese(トンカニーズ)」がその由来だった。
ところが、当時、原産地が名前に採用される猫種が多かったため、
原産国であるインドシナ半島のトンキン地方、またはベトナムのトンキン湾が由来であると誤解され、トンキニーズとよばれるようになり、1967年より正式に採用され登録された。


ノルウェージャンフォレストキャット(原産:ノルウェー)
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原産地域の寒冷気候への自然適合として起こった非常に古い種類の猫である。
起源
は、11世紀ごろにスカンジナビア半島のバイキングが古代ビザンチン帝国(現トルコ)から連れてきた長毛種の猫(マン島の先祖であるターキッシュアンゴラ)と地元のショートヘアーの交配により誕生したという説が有力
ノルウェーで広く愛されていたノルウェージャンフォレストキャットではあったが、初めは品種としての認識ではなく、普通の飼い猫という認識であった。
1930
年代にドイツキャットショーに登場するが、まだ少数で、その後、少しずつではあるが人気を増していくのだが、第二次世界大戦により、盛り上がりかけていた人気が一気に下降線を辿った。
一時期は数が減り、絶滅の危機に瀕したことさえあった。

1970年代に頭数の確保に対する意識が高まり、1979年にアメリカへ渡り、1984年に正式に品種として公認されて世界へ向けて発信されるものとなった。
しかし、外見がメインクーンに似ていることからCFAでは公認されず、18年後の1997年にようやく公認された。
ちなみに正式名称が長いことから、アメリカなどでは『ウィージー』の愛称で親しまれている。



㉖バーマン

㉗バーミーズ(原産国:ミャンマー)
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コビータイプ。

アンダーコートを持たない、シングルコートの短毛種です。
被毛には光沢感が見られ、サテンのような手触りをしています。
毛色はセーブルブラウン、シャンパン、ブルー、プラチナの4色です。
なお、特徴的なポイント模様は、地肌よりも少し濃いめに入っています。
目色はゴールドからイエロー。深みと輝きのあるものが好ましいです。

㉘ヨーロピアンバーミーズ(原産国:ミャンマー)
セミフォーリンタイプ。
シングルコートの短毛種です。
被毛には光沢感が見られ、サテンのような手触りをしています。
毛色は、ブラウン、ブルー、チョコレート、ライラック、レッド、クリーム、トーティシェル、ブラウントーティ、
ブルートーティ、チョコレートトーティ、ライラックトーティがあります。
目色は、イエローからアンバー。深みのある色が好ましいです。

㉙バリニーズ(原産国:アメリカ)
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オリエンタルタイプ。
サイアミーズの突然変異として生まれた長毛種。
毛色はポイントカラー。
目色はブルー。

㉚ヒマラヤン(原産:北アメリカ、イギリス)
pets-kojima.com からのペットのコジマ ヒマラヤン
1924年スウェーデンの研究者がペルシャにシャムのポイントカラーとブルーの目を付加させようと考え、ペルシャとシャムの交配を始めた。
ペルシャのロング・コートとシャムのポイントカラーの遺伝子はどちらも劣性遺伝だったため、誕生までに多くの苦労があった。
1930年代、その研究がイギリス、アメリカに引き継がれ、イギリスでは、1938年イギリスのウェップ氏の『クメール』と名付けられたシャムとペルシャのハイブリット猫が誕生している。
アメリカでは、1930年代初期に遺伝子学者のコップ女史がポインテッドの遺伝子に興味を持ち、シャムと長毛の黒猫と交配させ、さらにペルシャ、シャムとの交雑を行うことで育種を進め、1935年にハーバード大学の協力もあり、ポインテッドの特性を持ちつつ、ペルシャの面影を残すヒマラヤンの原型となる長毛種の誕生に初めて成功し、『デビュタント』と名づけられた。
誕生当時は現在のヒマラヤンの体形よりシャムのそれに近く、ペルシャの変種として扱われた。
第二次世界大戦によって一時繁殖計画も中断したが、終戦と同時に多くのブリーダーによって繁殖、改良が試みられ、アメリカのゴーフォース女史の繁殖した「ラクチーター」という名前の猫が、初代アメリカンチャンピオンに選ばれ、彼女により、被毛の色や模様の似たヒマラヤウサギから『ヒマラヤン』と名付けられた。
1955年にイギリスの猫血統登録団体であるGCCFに登録され、アメリカで1957年にCFAによってヒマラヤンとして公認され、その後のタイプ改良などによりペルシャの毛色部門のひとつとして確立された。
TICAではヒマラヤンをペルシャとは別品種として見なしているが、キャットショーでは『ペルシャ』、『エキゾチック』、『ヒマラヤン』が同一グループとして扱われている。
ヒマラヤンは、その魅力的な容姿から長年にわたってキャットショーで多くの賞を勝ち取り、1957年以降、CFAだけでじつに34万頭以上が登録された人気猫種で、CFAでは現在でもペルシャのバラエティとして「ヒマラヤン・ペルシャ」と名づけている。ヒマラヤンの誕生は多くのブリーダーによる努力の結晶によるもので、現在も改良が続けられている。

㉛ブリティッシュショートヘア(原産:イギリス)
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ブリティッシュショートヘアはイギリス原産の猫でグレートブリテン島原産とされている。自然発生種に類され、ブリテンの地に源流を有する数多の猫種のなかでも最も古い猫種のひとつとされている。
この品種のブルーの毛色は「永遠の傑作」とも言われ、「ブリティッシュブルー」の呼ばれることがある。
2世紀グレートブリテンを侵略したローマ帝国の襲撃の際に連れていた猫と推測され、エジプト由来の短毛猫と考えられている。ローマ軍はネズミから食料を守るために海外遠征に猫を伴っていた。やがてローマ人らが引き揚げたあと、隔絶状態に入った島内で農場や家庭でネズミ退治をしながら暮らし、子を増やしていった。
1800年代にはブリティッシュショートヘアの存在は知られていた。
イギリスに入ってから1世紀近くのあいだ、ほとんど変わらない外見だったが、19世紀の中ごろ、ネズミ捕りにおいて優秀な個体を選択して繁殖させていたことから、改良が始まった。
この当時から、ペルシャ
など長毛の猫との異種交配も行われており、長毛タイプも生まれていた。
1871年にロンドンで世界初のキャットショーが開催され、数多の優秀賞を獲得。1901年にイギリスで自国の猫として公認。

第一次大戦前は長毛タイプの方に人気があり、その後、短毛タイプはブリティッシュショートヘアの品種改良に、長毛タイプはペルシャの改良にと分けて交配に使われるようになった。
原産国イギリスの猫血統登録団体であるBCFFは、ペルシャとの交雑に反対していたため、第一次世界大戦後はペルシャとの交配種は第3世代(孫)以降のみブリティッシュショートヘアと認められることになったため、個体数が激減することになる。

20世紀の中頃、第二次世界大戦の時期には食料不足を原因として絶滅の危機に瀕し、現代の形を作ったペルシャとの交配計画が始まる。これによって絶滅は免れたがそれまでに無かった毛色と体型が誕生した。
1970年代、アメリカ合衆国に持ち込まれ、人気を獲得。 1979年にはキャットショー参加資格を得たが、ショートヘアと名付けられながら時々生まれるロングヘアのために、品種の確立には手間取ったが、1980年代にアメリカで幅広い公認を受けた。

 21世紀に入ってからは多様な東洋の猫種(オリエンタル種)との異種交配の試みが活発化し、それまでに存在しなかった様々な毛色が見られるようになった。
また、長毛タイプはブリティッシュショートヘアまたはブリタニカと呼ばれ一定の人気を得て、2009年から別の品種としてキャットショーに参加している。
2009年、アメリカの猫種血統登録団体TICAが「ブリティッシュロングヘア」として公認しているが、イギリスではまだ認めていない。
・1620年代、アメリカへの移民の際にメイフラワー号に乗っていたとされるブリティッシュショートヘアは、アメリカンショートヘア種の基礎となったと考えられている。


㉜ペルシャ(原産国:ヨーロッパ)
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はっきりとした起源は不明だが、16世紀にはすでにトルコのアンカラを経てイタリアへ渡った長毛種のネコがおり、このネコがペルシャ、あるいはターキッシュアンゴラの祖先であるターキーであると考えられている。       
起源で有力な説が、ターキッシュアンゴラとペルシャ(現イラン)の土着猫を交配させ誕生した猫が原型になったとされている。                                                            その他では、イランからアフガニスタン辺りに生息していた土着猫と交配させて誕生したという説、トルコからヨーロッパに輸入された猫が基になっているという説がある。                                    1871年にイギリスで開催された公式では初のキャットショーにおいてブラック、ブルー、ホワイトのペルシャが出頭されている。そのあまりの優雅さに、訪れた観客達の間で話題になったと言われている。     
19世紀の終わりにイギリスからアメリカへと渡り、特徴的な容姿はブリーダーの注目を集め、議論を重ねつつ交配、改良が行われた結果、「猫の王様」と呼ばれるほどの人気を博す猫種となった。

チンチラの歴史
チンチラが登場したのは、1882年のイギリス。
ブルーのペルシャ猫と、雑種の猫を交配させ誕生した猫を「チニー」と名付け、さらにシルバータビーの猫と交配させた。生まれた子の中にシルバースモークのオス猫がおり、「銀の子羊」と名付けられた。これが現在のチンチラの始まりだといわれている。

アメリカでこの毛色が大人気となり、血統として独立させようと、CFAというアメリカ最大の血統登録団体に申請したのだが、ペルシャ猫と見分けるのは毛色以外特に特徴がないことから、この申請は見送られた。
現在、これを独立して認めているのは、南アフリカなどのごく一部の血統団体だけになっている。
しかし、キャットショーでは、ペルシャの中のチンチラ部門というカテゴリーで分けられている。


㉝ベンガル(原産:アメリカ)
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1950年代、アメリカのアリゾナ州に住むジーン・サグデンという女性は、美しい被毛を持つ為に犠牲となる山猫たちを減らす方法として「山猫のような美しい被毛の家猫がいればよいのではないか」と考え、アジアンレパードキャット(ベンガルヤマネコ)のメスと黒い家猫を交配させました。
生まれた仔猫の中にはスポット(点)を持つメスがいたが成長とともに父猫と同じ黒い色になってしまいました。
しかし、そのメスから産まれた仔猫たちにはスポットが現れた。その後、ジーン・サグテンはやむない事情で繁殖を断念してしまいます。
それから1970年代、「アジアンレパードキャットが猫白血病に対し先天的な免疫を持っているのではないか」という研究をしていたカリフォルニア大学のウィラード・センターウォール博士がショートヘアのイエネコとアジアンレパードキャットを交配させ、美しいスポット模様を持つ猫を誕生させました。
そのうちの8匹のメスをジーン・サグテンが譲り受けベンガルの原点がスタートしました。
ジーン・サグテンはこれらの猫と野生のインディアンマウ、アビシニアン、アメリカンショートヘア、エジプシャンマウ、シャムなどとの交配を試み、現在のベンガルの基礎を築き上げました。
当初のベンガル猫は、野性が強く残っていたが、多くのイエネコと交配を続けることで、現在のような賢く、温厚な性格のベンガル猫が生まれました。
1983年、「ベンガル」としてTICAに登録。1985年、キャットショーに出し、一躍人気となりました。
1987年にはマーブル(渦巻き柄)のベンガル猫が登場し、アメリカでの人気を確立しました。
今では、世界中でアメリカが一番多く飼わているポピュラーな猫となりました。


※アジアンレパードとはベンガルヤマネコとも呼ばれ、東南アジアの森林地帯に生息する美しい斑点を持つ猫。
 体重が3~6kgほどと小さな体で、イエネコと大きさは変わりがありません。ベンガルの猫種名はここから付いています。


㉞ボンベイ

㉟マンクス

㊱マンチカン(原産:アメリカ)
  
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マンチカンの歴史は浅いが、「短足猫」の存在は古くから確認されていた。
1944年イギリスジョーンズ博士の発見が初。
1956年ソビエト連邦のスターリングラードで発見。
1970年米国のニューイングランドで発見。
1983年に米国ルイジアナ州でブルドックに追われてトラックの下に逃げ込んだ短足猫を音楽教師だったリンダという女性が保護し『ブラックベリー』(Blackberryと名付けた。
その猫の体格は多くの人の関心を呼び、検査の結果、健康体であり遺伝子の突然変異だとわかった。
やがてブリーダーの主導で異種交配の計画が始動。
しかし、マンチカンがショーに登場し始めると、短足による遺伝子疾患や健康面の不安を抱く人々と、短足の可愛らしさを賛美する人々で論争が起きてしまい、ショーでは猫種として確立できない「突然変異」と結論付けられてしまった。
そんな中、北アメリカでは繁殖が続けられ、1995年にようやく、遺伝子の突然変異以外には問題のない「短い足」という個性を持った猫種であるとTICAから認定された
TICAは他の純血種との交配を認めておらず、マンチカン同士もしくは雑種のみ交配を公認している。
他の純血種と交配を認めないのは、他の猫種の骨格の遺伝因子と交雑する事と純血種にみられる遺伝病の危険を回避するためである。
このため、TICAのキャットショーでは、マンチカンの出場条件に「耳が立っていること」という条項がある。これはスコティッシュ・フォールドおよびアメリカンカールの交配を認めていないためである。

また、マンチカンの交配は、基本的に短足マンチカン同士の交配は推奨されておらず、長足のマンチカンと短足のマンチカンの交配や、マンチカンと純血種を除く雑種猫との交配が基本とされる。そのため、短足のマンチカンが生まれる確率は2~3割程度と言われている。

※名前の由来は「オズの魔法使い」に登場するマンチキン「munchkin」(英訳:小さい人、子供)からと言われている。

㊲ミヌエット(原産:アメリカ)

アメリカのバセットハウンドのブリーダー、ジョセフ・スミスは、足の短い犬の熱烈な愛好者で、ドッグショーでジャッジメントなどをしていた。
1995年6月、アメリカの新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事を読み、短足が特徴の猫『マンチカン』の存在を知ることになる。その猫は短足の遺伝子を持つが、足が長く生まれた多くのマンチカンが、保護センターに収容されており、そんな理由で捨てられることに憤り、自らの手で短足猫の固定化を目指すことに決めた。
1996年、猫種として固定されているペルシャとマンチカンを交配。その子猫を、ヒマラヤンやエキゾチックショートヘアといったペルシャ系の長毛種の猫と交配し、生まれたのがナポレオン(後のミヌエット)である。
2001年、TICA(国際猫協会)で「実験種」として予備登録された。
2002年、「登録種」となるが、TICAは「新猫種」として認めてはくれなかった。
2008年、ジョセフはいつまでたっても理想のミヌエットの姿に近づけないことで、育種を断念してしまう。
しかし、サム・テートやマージ・ガードナーらほかのミヌエットのブリーダーが後を引き継ぎ、現在も世界中でミヌエットの育種が進められている。

鼻が低すぎない、足が短いことを共通点にあるが、長毛・短毛のあらゆる毛色が生まれ固定猫種と判断しにくいことで、新猫種として認めない血統登録団体も少なくない。
キャットショーに出展される機会も少なく、日本での認知度は未だ低いままである。


ナポレオンという名前は、足が短く体高が低いことから、身長が低かったフランスの皇帝 ナポレオン・ボナパルトにちなんで名づけられた。
しかし、2015年、 短足の特徴からフランスの英雄の名を猫に与えたことを、フランスが「不敬である」と指摘。品種名を変更せざるを得ない状況になった。
そこで、「英語」Minuet(意:17~18世紀にヨーロッパで流行した舞踏)から、ミヌエットという名に変更された。

㊳メインクーン

㊴ラガマフィン

㊵ラグドール(原産:アメリカ)
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ラグドールの起源、1960年代、アメリカ・カリフォルニアに住む女性ブリーダー、アン・ベイカーが、「ジョセフィーヌ」と言う名の白猫を元に、ペルシャとバーマン、更にバーミーズなどと交配した結果、誕生した。
アン・ベイカーは、この猫の魅力に自信を持ち、新しい品種として育成することとをビジネスと結びつけて計画しInternational Ragdoll Cat Association (IRCA)という組織を設立。「IRCA登録のブリーダーしかラグドールという名を使うことができない」という、今で言う「フランチャイズ」のようなビジネスモデルで商売を始めた。
つまり、
アメリカで1965年に登録されると同時に品種名が登録商標となった。
その後、アン・ベイカーは繁殖を行う目的の人には、フランチャイズ契約を行うことを条件に、猫を譲り渡していた。
1975年、このような仕組みに疑問を持ったデニー・デイトンを中心としたグループが、フランチャイズ契約を行わずに譲り受けた子猫で、新たに繁殖を行い、1983年にイギリスで登録。
CFA(アメリカの猫種登録協会)に公認されたのは2000年になる。
ラグドール(Rugdoll)の「Rug」と「Doll」の2つの単語を組み合わせた言葉には「ぬいぐるみ」という意味があり、「抱き上げるとまるでぬいぐるみのようにおとなしくしている」ところに着想を得ている。

㊶ラパーマ

㊷ロシアンブルー

㊸キンカロー

㊹トイガー

㊺ラムキン

㊻ジェネッタ

㊼スクーカム

㊽バンビーノ

㊾サイベリアンネヴァマスカレイド(原産:ロシア)
・ポイントカラーと青い目を持つサイベリアン 
・アメリカ『TICA』『CFA』、ロシア『WCF』はポイントカラーもサイベリアン
・フランス『FiFe』公認の猫種
・他団体の一部はポイントカラーのサイベリアンは認めていないため雑種扱い
・ヨーロッパとロシアではカラーポイントはネヴァマスカレード(NEM)と呼んでいる。

歴史
ロシア・サンクトペテルブルクのネヴァ川沿いで誕生。
バリニーズやヒマラヤン、シャムの輸入が始まったころに野生のサイベリアンと交配が行われたとされる。
ネヴァマスカレードの『ネヴァ』は『ネヴァ川』から、『マスカレード』はその被毛の装飾的な魅力から『仮面舞踏会』を連想して付けられた。
TICAは1997年、CFAは2000年にサイベリアンのカラーバリエーションとして公認。
FlFeは2011年にネヴァマスカレードをサイベリアンの姉妹品種として公認。


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