ねこカフェ ミネット
ネコのススメ 投稿日時:2024/12/07(土) 16:44
それぞれの猫種について詳しくなりましょう。
①ドメスティックキャット
②アビシニアン(原産:エチオピア)
③アメリカンカール(原産:アメリカ)
④アメリカンショートヘア(原産:アメリカ)
⑤エキゾチック(原産:アメリカ)
⑥エジプシャンマウ(原産:エジプト(アメリカ))
⑦オシキャット(原産:アメリカ)
⑧オリエンタル
⑨キムリック(原産:カナダ、イギリス)
⑩コーニッシュレックス
⑪コラット
⑫サイベリアン(原産:ロシア)
⑬ジャパニーズボブテイル(原産:日本)
⑭シャム/サイアミーズ(原産:タイ)
⑮シャルトリュー(原産:フランス)
⑯シンガプーラ(原産:シンガポール)
⑰スコティッシュフォールド(原産:イギリス(スコットランド))
⑱スノーシュー(原産:アメリカ)
⑲スフィンクス(原産:カナダ)
⑳セルカークレックス(原産:アメリカ)
㉑ソマリ(原産:イギリス)
㉒ターキッシュアンゴラ(原産:トルコ)
㉓ターキッシュバン
㉔デボンレックス
㉕トンキニーズ(原産:ミャンマー)
㉖ノルウェージャンフォレストキャット(原産:ノルウェー)
㉗バーマン
㉘バーミーズ(原産:ミャンマー)
㉙ヨーロピアンバーミーズ(原産:ミャンマー)
㉚バリニーズ(原産:アメリカ)
㉛ヒマラヤン(原産:北アメリカ、イギリス)
㉜ブリティッシュショートヘア(原産:イギリス)
㉝ペルシャ(原産:イラン)
㉞ベンガル(原産:アメリカ)
㉟ボンベイ(原産:アメリカ)
㊱マンクス(原産:イギリス)
㊲マンチカン(原産:アメリカ)
㊳ミヌエット(原産:アメリカ)
㊴メインクーン(原産:アメリカ)
㊵ラガマフィン(原産:アメリカ)
㊶ラグドール(原産:アメリカ)
㊷ラパーマ(原産:アメリカ)
㊸ロシアンブルー(原産:ロシア(イギリス))
①ドメスティックキャット
猫の種類の名ではなく家畜猫、家庭猫という意味を表す。日本語でイエネコとも言うこともあります。
同種交配の純血種、別種交配の混血種、所属不明の雑種など家庭内で飼われている猫であればすべてドメスティックキャットとなります。
②アビシニアン(原産国:エチオピア)
アビシニアンの起源には諸説あり、どの説にも明確な証拠はない。
・約4000年前、古代エジプトの壁画や出土品に描かれていたネコの特徴がアビシニアンに似ていることから、エジプト原産という説。
・1868年のイギリス・エチオピア(旧名アビシニア)戦争から帰還したイギリス兵が持ち帰った説。この時の猫の名が『ズーラ』というメスであったという話も伝わっており、アビシニアンの名もこの時付けられ、長い間通説とされていた。しかし、近年この説にも懐疑的な見方が増えてきている。
・近年の遺伝子分析研究によりインド大陸ベンガル湾周辺の土着猫が祖先である説。
オランダの自然史博物館にあるアビシニアンと大変よく似た剥製は1830年代中ごろにインドから来たもので、イギリスは古くからインドと交易があるため、この説は現在、最も有力である。
アビシニアンはイギリスにて、1870年頃キャットショーデビュー。
イギリスの猫血統管理団体であるGCCFに品種登録。
1927年頃、フランスにて繁殖スタート。
1935年頃、アメリカにて繁殖スタート。
その後、デンマーク、スウェーデン、オランダ、オーストラリア、日本に渡り、20世紀初頭には世界中の猫血統管理団体に登録されていった。
③アメリカンカール(原産:アメリカ)
1981年6月、カリフォルニア州レイクウッドに住むルーガ夫妻が、自宅玄関前で反りかえった形の耳を持つ黒い長毛の若猫を発見した。たいへん人なつこいその猫は、『シュラミス』(黒い美人)と名づけられた。
1981年 12月に子猫を4頭出産。うち2頭は同じ形の耳を持っていた。
シュラミスの耳の形は当初、一部の猫愛好家や遺伝学者などの議論にとどまっていたが、この出産により、耳の形が遺伝することが判明したことにより、1983年、猫愛好家や繁殖家によって繁殖が始まった。
イギリスの猫の遺伝学者ロイ・ロビンソンは、繁殖者と協力し、81頭の母猫から生まれた合計383匹の子猫を調査分析した。その結果、耳の形の遺伝子は突然変異で起きた独特のものであり、奇形ではないこと、優性遺伝子であることを確認した。さらにロビンソンは、1989年の発表で、この耳の形は遺伝疾患を伴わないとした。健康な猫の突然変異が固定化したものと考えられたのである。
その後、1991年にはアメリカの猫登録団体「CFA」に公認され、アメリカンカールは、原産国のアメリカでは異例のスピードで新猫種として確立された。現在のアメリカンカールは全て、このシュラミスの子孫であると言われている。
土着の猫だったアメリカンカールは、多様な遺伝子を持つため、純血猫としては大変頑健であるとされている。現在、カールしている耳は50%以上の確率で遺伝するとされる。
アメリカンカールの被毛には、短毛タイプと長毛タイプ存在する。今となっては珍しくはないが、当時は短毛種・長毛種で同じ猫種と認められることはなかった。
アメリカンカールのルーツとなったシュラミスは、長毛種のアメリカンカールだが、この時点では短毛種は存在していない。
短毛種は、シュラミスが生んだ「メルセデス」という名の子がルーツとなっており、後に短毛種のアメリカンカールの原点となる。
アメリカンカールが猫種で初めて、異なるコートを持つ猫種と認められてから、他の猫種でも同じ猫種で短毛種・長毛種が存在すると認められた。
これはアメリカンカールが新たな歴史を切り開いたと言っても過言ではない。
④アメリカンショートヘア(原産:アメリカ)
10世紀ローマ人が『ヨーロピアンショートヘア』をイギリスに持ち込み『ブリティッシュショートヘア』と呼んだ猫種がいた。
今からおよそ400年前の開拓と植民の時代、1620年にメイフラワー号によりピューリタンがイギリスからアメリカへ上陸。その時一緒に連れてきた短毛のネコが『アメリカンショートヘア』のルーツだと言われている。
初めはペットではなく、穀物を荒らすネズミ退治のためだった。ペット向きではない強い面は当時ハンターとしては大変優秀で、多くの農場や家庭で飼われた。彼らの子孫は交雑があったにもかかわらず、50ドルから100ドルで売られていたと言われている。
この時代、愛玩目的ではないため、異種交配が普通にあり、そのおかげでこの猫種は遺伝疾患の少ない頑健な体を得ることができたと考えられている。
その後、アメリカの農業が大規模化し、穀物管理の手法が発展すると、猫たちはその役目を失った。しかし、特徴的な銀灰色のタビーに魅せられた愛好家によって、品種確立を目指して育種されることになった。
アメリカでは1895年のキャットショーでデビューし、カタログが1000ドルもの値段がついた。翌年のショーでは2500ドルとさらに高値が付くほど人気が上昇していた。
CFAは、1906年創設時に登録した5猫種のひとつになったが、名前は単に『ショートヘア』とされ、他の短毛猫とひとくくりにされていたようである。
その後、他のショートヘア種がアメリカに入るようになり、混同を恐れて『ドメスティックショートヘア』に改名したのだが、雑種のイメージが強く変えた途端人気はガタ落ち。ブリーダーたちは異種交配禁止などイメージ回復を試みたが失敗。
1966年に打開策の一つとして『アメリカンショートヘア』としたところ、あっという間に人気が復活し、「キャット・オブ・ザ・イヤー」を受賞するに至った。
日本に入ってきたのは1980年以降とされている。
日本ではその飼いやすさと姿から1990年代後半頃より流行し始め、現在ではごく一般的な猫の品種として定着し、「アメショー」と呼ばれ多くの人に愛されるようになった。
⑤エキゾチック(原産:アメリカ)
1950年代にアメリカで二つの異なる目的において繁殖が行われた。
1つ目は、「ペルシャ猫にアメリカンショートヘアの毛色を与える」という目的。アメリカのブリーダーがペルシャとアメリカンショートヘアとの交配を重ねた。この異種交配は困難を極めたが、アメリカの繁殖家ジェーン・マーティンが、生まれた短毛の子猫たちの魅力に着目し、新しい猫種として登録されるように働きかけ、1966年、CFA(アメリカ・キャットファンシャーズ協会)に登録された。当初は銀の毛色のみとするとして「スターリング」という名前が付けられたが、他の毛色も生まれることから、「エキゾチックショートヘア」という名前に変更された。
2つ目は、「茶色い毛のペルシャ猫を作出する」という目的である。
同じ時期のアメリカで、キャロライン・バッセイという繁殖家が、茶色い毛のペルシャを作出しようと計画し、ペルシャとバーミーズを交配させていた。生まれてきた子猫は黒っぽい毛色ばかりで、計画は失敗に終わったものの、短毛に潰れた丸い顔の子猫たちの予想外の可愛らしさに、「この個性が多くの人に愛されるのではないか」と考え、正当に新しい品種として登録したいと働きかけた。その際、倫理的にも正当に新しい品種として登録したいと考えバーミーズとペルシャから生まれた子にアメリカンショートヘアをかけあわせることをエキゾチックショートヘアの血統の条件とし、この考え方が広まっていった。こちらもエキゾチックショートヘアの異種交配を確立させていった。
この時代、ペルシャの短毛化やアメリカンショートヘアとの交配で銀の毛色を作出する目的で、多くのブリーダーが異種交配を試みていた。しかし、好ましくない繁殖や血統書の不正などで突然変異を装うなど、不実な繁殖が横行していたとも言われている。
そのような理由からか、ペルシャとアメリカンショートヘアの交配に反対するブリーダーも多く、血統登録団体に認定されるのに時間がかかったようである。エキゾチックショートヘアが確立したのは1966年に入ってからだといわれている。
エキゾチックショートヘアの交配から長毛の猫が生まれることがある。その場合、団体によって規定が異なり、『ペルシャとして登録される』、『ロングヘアード・エキゾチックと呼ぶ』、『エキゾチックロングヘア」とする』など色々ある。
⑥エジプシャンマウ(原産:エジプト(アメリカ))
歴史
名前の「マウ」には、エジプト語で猫の意味があります。
エジプシャンマウの歴史は古く、紀元前1500年頃まで遡るといわれていますが、その起源は明らかにはなっていません。
古代エジプトの壁画に残されている最古のイエネコは、細身のボディにアーモンド型の目、細かい斑点模様を持っていました。
その特徴を元に、カイロで発見された個体から繁殖、改良されたのがエジプシャンマウです。
近年の遺伝子解析による研究では、エジプシャンマウの祖先はエジプト原産の猫ではなく、メインクーン、コラット、ターキッシュアンゴラと近縁である可能性が指摘されています。
1953年、ローマに亡命中のロシア人「ナタリヤ・トルベツカヤ」が、エジプト大使館で出会った野性のヒョウのようなスポット模様のあるエジプシャンマウに強く惹かれて、エジプトから1匹のメスを輸入し、「Baba」と名付けました。
Babaは、エジプト駐在のイタリア大使の所有する、オスのエジプシャンマウと交配し、ブロンズ色のオス猫を生みました。
その子猫は、母猫Babaと「戻し交配」をされ、メス猫「Lisa」を生みました。
1955年、ローマで開かれたキャットショーにて、Lisaはお披露目され、スポット柄の猫は、ヨーロッパの注目を集めました。
1956年、ナタリヤは、3匹を連れてアメリカへ移住します。
特徴的なスポットをもつ猫たちはアメリカでも人気となり、「エジプシャンマウ」として公認されました。
ナタリヤがロシア王女だという説もありますが、ロシアの王家にその名は記録されていません。
はっきりしているのは、エジプシャンマウを確立し、世界に紹介した愛好家であるということです。
1965年、世界中の猫血統登録管理団体に公認されました。
しかし、人気の高まりと共に近親交配により遺伝疾患に苦しむようになります。
そこで、アメリカの繁殖家「ジーン・ミルウッド」は、遺伝子プールを広げるため、インドのニューデリー動物園にいたネコの血統を導入しました。
おそらく、ベンガルヤマネコの血を引く猫と思われ、数代を作出した後に、この異種交配はTICAに公認されました。
1977年、CFAに公認され、初めは交雑を認めましたが、1980年代に入り、エジプト土着の猫を交雑に使うべきと改めました。
そこで、繁殖家「キャシー・ローワン」は、エジプトから13頭のエジプシャンマウを輸入し、遺伝子の多様化をはかり、エジプシャンマウの作出に大きな力となりました。
※エジプシャンマウは、ナチュラル・ブリード(自然繁殖)で斑点模様を持つ、唯一の猫です。
※アビシニアンやシャムとの交雑で、エジプシャンマウに似た猫を作出する試みはありましたが失敗、この時生まれたタビーの猫は、後年、オシキャット作出の基礎となりました。
※「古代エジプトのネコ」というイメージが強いため、エジプト原産とされるが、正式な品種として確立したのはアメリカなのでアメリカ原産と表記する場合もあります。
性格
ワイルドな外見に反して性格はおとなしく繊細で臆病、人見知りも激しく、環境の変化にも敏感です。
小さな子どもや、ほかのペットがいる場合は注意が必要でしょう。
ただし、慣れると家族に対して愛情深く、そばにいて甘えてきます。
自立心が強く、一人遊びや留守番も平気です。
好奇心旺盛で活発、運動量が多めなので、遊び相手になってあげてください。
特に高いところを好む傾向があるので、キャットタワーなどを設置してあげるとよいでしょう。
特徴
セミフォーリンタイプ。
大きなアーモンド形の目は「グースベリーグリーン」と呼ばれ、透き通った淡いグリーンの瞳をしています。
目の色はこのグースベリーグリーンのみとされており、ブルーはいません。
頭は小さく、鼻筋はソフトなカーブを描き、眉間から先端まで同じ幅をしています。
耳は大きくて付け根部分が広く、やや外向きについています。
額にはM字型の「スカラベマーク」と呼ばれる模様があることもあります。
スリムで筋肉質な体つきをしており、チーターに似た身体能力を持った猫といわれ、時速50㎞の俊足から別名「イエネコの最速スプリンター」と呼ばれることもあるそうです。
体重は、オス:約3.9~6.5kg、メス:約2.7~4.6kg
体高は、約25~35cm
被毛は短毛のダブルコート、スポッテッドタビーのみ。
子猫のころはスポットがあまりはっきりせず、きれいなスポテッドタビーになるまでは2年ほどかかります。
毛色はシルバー、ブロンズ、スモークの3種類。
【シルバー】薄いシルバーの地色に、木炭色の斑点。アンダーコートはホワイト、または薄いシルバー。
【ブロンズ】明るいブロンズの地色に、濃いブラウン-ブラックの斑点。アンダーコートは暖かみのあるブラウン。
【スモーク】地色は薄いシルバー。毛先がブラックでティップし、斑点とマーキングは、漆黒。アンダーコートは、ホワイト、または薄いシルバー。
※ブラックとブルーも存在しますが、公認はされていません。
病気
猫の原種に近いということもあって、遺伝性疾患は比較的少ないようです。
飼い方
短毛なのでブラッシングは頻繁に行う必要はありません。
1日1回のブラッシングの時にコミュニケーションをとるとよいでしょう。
遊ぶことが大好きで、よく動き回るので、キャットタワーなどを設置して、高さを意識した部屋づくり心がけるとよいでしょう。体は細身なので、食事やおやつのあげ過ぎには注意が必要です。
デリケートなところもあるので、ストレスがたまらないように注意してあげましょう。
⑦オシキャット(原産:アメリカ)
歴史
1964年、アメリカ・ミシガン州に住む繁殖家の女性「ヴァージニア・デイリー」は、アビシニアン・カラーのサイアミーズ(シャム猫)を作出しようと、アビシニアンとサイアミーズを交配しました。
1代目の子猫たちは、全員がアビシニアンの毛色を持っていました。
2代目の子猫たちには、ポイントのあるアビシニアンが生まれましたが、1匹だけ斑点模様のオスがいました。
このオスは「トンガ」と名付けられ、デイリーの娘に「オセロット」模様から「オシキャット」というあだ名で呼ばれました。
(オセロット)
デイリーにとってトンガは目的とは違う猫であり、1代限りのものと考えて、去勢をして譲ってしまいました。
ある日デイリーは、新聞社がトンガのことを「美しい斑点のある猫」と報じ、また、有名な遺伝学者のクライド・キーラー博士が、エジプトにいた斑点模様の猫種を人工的に作出しようとしていることを知りました。
デイリーはキーラー博士に連絡をとってトンガのことを伝え、同じ特徴を持つ猫を育種することを決意しました。
トンガでの交配はできませんので、トンガの両親で交配を試みた結果、トンガより褐色のオス猫「ドットソン」が生まれました。
その後の繁殖には、アビシニアン、サイアミーズ、アメリカン・ショートへアが用いられました。
アメリカン・ショートへアは斑点模様をより明瞭にする目的でしたが、シルバーの毛色を得ることができました。
名前は「オセロット(山猫)」と、「交配の結果生まれた」という意味の「アクシキャット」から付いたそうです。
1966年、CFAに予備登録されることになりました。
しかし、デイリーは、家庭の事情で10年ほど、繁殖を中断し、1980年代まで再開することができませんでした。
1986年、オシキャットに魅了された他の繁殖家の努力により、TICAに公認登録。
1987年、CFAに正式な猫種として公認されました。
この時の繁殖家たちは、新たにアビシニアンとシャムを使い、デイリーと異なる血統を作出したことも多かったようです。
その後、ヨーロッパに輸出や、イギリス、ドイツで独自に繁殖が行われるようになります。
1998年、イギリスのGCCFにも登録されました。
※オシキャットの繁殖:登録団体によってアビシニアンなど作出に使われた猫種との交雑を認めている場合があります。
※クラシックタビーのオシキャットは、ニュージーランドなど一部の国で「ジャンガラ」(サンスクリット語でジャングルの意味)、もしくは「クラシキャット」という種名で公認されています。
性格
野性味のある容姿ですが、とても穏やかで甘えん坊。
多頭飼育や他のペットも平気な外向的な性格と、芸をすぐに覚える頭の良さから、「猫の皮をかぶった犬」と言われています。
やや臆病で、警戒心が強いところもあり、寂しがりやなので、ひとりのお留守番はあまり好みません。
知らない人がいる場所や騒がしい場所など、環境の変化が苦手で、慣れるまで少し時間がかかるので、ゆっくり慣らしてあげましょう。
特徴
体型はセミフォーリンタイプ。
まっすぐ長く太い尻尾、足の長さは中程度、胴体は長く、広い胸幅は筋肉が発達しており、全体的に力強い印象を与えます。
耳は大きく、頭部は丸みのあるくさび形、顔はクーガー(アメリカライオン)フェイスです。
大きな目はアーモンド形で、ブルー以外のすべての目色が認められています。
標準的な体重:3.0~7.5kg、(オスは5.0~6.0kgが好ましい)
体長は成猫で50~80cm
毛の手触りは柔らかく、光沢があります。
毛の色は、「タウニー(ブラウン)、チョコレート、シナモン、ブルー、ラベンダー、フォーン」と、各シルバー系の「エボニーシルバー、チョコレートシルバー、シナモンシルバー、ブルーシルバー、ラベンダーシルバー、フォーンシルバー」、計12色が公認されています。
目・鼻孔・顎・のどには白い毛が生えていますが、それ以外の部分にはありません。
特徴のスポットはクラシックタビーがバラバラに切れたもので、サイドから見て体側のスポットの軌跡をたどると、クラシックタビーの雲形模様になります。
⑧オリエンタル
⑨キムリック(原産:カナダ、イギリス)
歴史
キムリックは、マンクスの突然変異によって誕生した長毛の猫種です。
マンクスとキムリックの出身地は「マン島」というイギリスにある島です。
キムリックは別名「ロングヘア・マンクス」と言われています。
キムリックは英語で「Cymric」と表記し、キムリックの祖先が「マン島」へ渡る前に暮らしていた「ウェールズ」という島の名前に由来しています。
「ウェールズ島」は英語「Wales(ウェールズ)」ですが、ウェールズ語「Cymru(キムルー)」と表記します。
「キムルー」の派生で「Cymric(キムリック)」と名付けられました。
ウェールズ島はカナダに属し、マン島はイギリスに属しています。
そのため、キムリックの原産国は、「カナダ」、「イギリス」の2パターンがあります。
しかし、キムリックはカナダで長毛を固定化されたため、原産国をカナダとする場合が多いようです。
※イギリスは、キムリックを長毛のマンクスとし、別の猫種としていません。
キムリックの始祖「マンクス」はイギリスのマン島を原産とする猫です。
マンクスの祖先は船に乗ってやって来て、マン島で暮らすうちに突然変異で尻尾の無い子が生まれました。
ン島はグレートブリテン島とアイルランド島に囲まれた孤島として独自の生態系を保っていました。
他の猫種と交わることのないマン島の猫は、尻尾が無い特徴を徐々に増やしていきました。
1750年頃、「stubbin(スタビン)」という名前で呼ばれていたマンクスの記録が残っています。
マンクスから長毛の猫が生まれるようになったきっかけとして考えられているのは、
近年の猫の遺伝子研究で、マリアン・スワンテクが1987年に発表した著書の中で、キムリックの長毛の遺伝子は突然変異ではなく、ノルウェージャンフォレストキャットが祖先猫に含まれることが理由であるとして、
「8~11世紀、バイキングがノルウェージャンフォレストキャットを連れて世界中を旅しており、マン島に上陸した際に逃がしてしまった」という説が有力になっています。
原産地であるマン島で、純血猫「キムリック」として繁殖されるようになってからも、短めのミディアムロングだったことで好印象を持たれず、長い間、価値の低いものとして顧みられていました。
1960年代、少ない確率の長毛を繁殖させたのはカナダの繁殖家でした。
1979年、TICAは、尻尾の無い短毛を「マンクス」、長毛を「キムリック」として血統書登録しました。
CFAでは「キムリック」は、「長毛のマンクス」とされ、猫種として認められていません。
キムリックは、ほかの長毛猫との交雑を経て、マンクスと別種として公認を申請していますが、
交雑前にも長毛タイプが生まれていたことから、別種と認めない血統登録団体が多くあります。
⑩コーニッシュレックス
⑪コラット
⑫サイベリアン(原産:ロシア)
「サイベリアン=シベリア」の意味であり、ロシア東部で自然発生した猫種。
ロシア土着の猫とされているが、その起源はよくわかっていない。
近年の遺伝子解析による研究では、ウラル山脈をはさんで存在したペルシャやアンゴラと同じ祖先を持ち、紀元1000年頃には存在したと考えられており、全ての長毛種の祖先の可能性が考えられている。
その昔、修道院や農家などでネズミ退治のために飼われていたとされ、民話ではネズミ退治でよく登場する。何百年も前からおとぎ話や子ども向けの本に出ており、国宝として国民に深く愛されてきた。
「サイベリアンフォレストキャット(シベリアの森に住む猫という意味)」と呼ばれることもある。
1871年、イギリス(ロンドンのクリスタルパレス)で開催された最初のキャットショーに初めて出展され人気を得たが、当時のロシアは他国との交流や交易が制限されていたため、入手するのが大変難しい猫として知られていた。
そして、ロシアでは猫をペットとして飼うという認識がほとんどなかったため、繁殖はほぼされず、1980年代からようやく血統管理と本格的な品種改良が実施されるようになった。
輸出記録では、1987年以降、サンクトペテルブルグのキャットクラブからとなっている。
当初、輸出はポーランドやドイツなど政治的に近い国やスカンジナビア3国のように地理的に近い国に限られていた。
冷戦が終結した翌年、1990年にアメリカのブリーダーによって文化交流プログラムの一環として初めて数頭がアメリカの繁殖家に贈られた。
輸入後は計画的に繁殖され、1992年にTICAが新猫種の予備登録を行い、1996年には正式に猫種として登録。
2006年にCFAで公認猫種になった。
歴史は随一の長さを誇るサイベリアンは猫の品種の中でも最近になって認知されはじめた品種ということになる。
⑬ジャパニーズボブテイル(原産:日本)
歴史
日本猫の起源はまだよくわかっていません。
弥生時代(紀元前3世紀~3世紀中頃)、猫がいた痕跡が発見されています。
奈良時代後期、仏教の経典と共に中国から『唐猫(カラネコ)』と記述された贈答品の猫のことが記されています。
平安時代、宇多天皇の日記『宇多天皇御記(ぎょき)』に飼育されていた黒猫のことが記されています。
鎌倉時代、尻尾の短い猫は、中国から持ち込まれました。
江戸時代(慶長7年)、「猫に紐をつけて飼育しないこと」と通達が出されました。
紐付きで飼われていた猫たちは自由の身になり、野良猫の時代が始まり、日本土着の猫が全国に広まった理由と考えられます。
江戸時代になると庶民にも広がり、日本猫が多くの文献や絵画の中に残され、猫股も広まっていきます。
当時、長い尾は蛇を思わせることや、尾が二本に分かれる猫又が信じられており、江戸時代後期から尻尾が短い猫の人気が高まったと推察されます。
尾の短い猫はさまざまな信仰心から縁起のよい猫として人気を博し、招き猫のモデルにもなりました。
戦後はペットとしてシャムやペルシャなどの洋猫が輸入され、爆発的に人気を高めていきました。
習慣として放し飼いにされることの多かったこの頃の日本では、土着の野良猫と輸入された洋猫の混血が進んでしまいます。
1970年代、これに危機感を抱いた作家で動物学者でもあった平岩米吉の提唱により、日本猫の保存活動が始まりました。
「純粋な日本猫」はほとんど絶滅状態になってしまい、純血種としてのジャパニーズボブテイルは「日本猫以上に日本的な雰囲気を漂わせた猫」と表現する者もいた。
ジャパニーズボブテイルの起源は、土着の猫たちです。
1960年代、日本に滞在していたアメリカ人女性「ジュディ・クロフォード」は、日本猫に魅了され、母国バージニア州に住むブリーダーの友人「エリザベス・フリーレット」婦人に、日本猫のひとつがいを送り届けた。
翌年にはそのつがいが子供を出産し、やがて帰国したクロフォードは、その繁殖に着手することになります。
1968年、「エリザベス・フリーレット」婦人は、尾が短い3匹の日本猫を輸入し、日本国外で始めての計画繁殖を行います。
さらに、米軍基地の愛猫家や獣医師、日本の愛猫家などの協力もあり、100匹以上の短尾の猫が海を渡り、繁殖計画が進められました。
それらの中に長毛の個体が混入していたことで、1970年代の初めに長毛の遺伝子の存在が確認された。
1970年には愛好会も発足
1976年、CFAが「ジャパニーズボブテイル」を猫種として公認。
イギリスではまだ個体数の関係で公認を受け入れられていないようでした。
1992年、ロングヘアが新たに「ジャパニーズボブテイル・ロングヘア」という別種として公認。
その後、アメリカで体型など改良も入り、スマートなボブテイルは日本に逆輸入され、愛好家も増えています。
2004年度CFAのキャットショーのグランドチャンピオンはジャパニーズボブテイルであったが、この猫は北海道の街の路地で拾われた元野良猫であった。
『日本誌』著者:ドイツのエンゲルベルト・ケンプファー(1727年)
「日本人に飼われているのは一種類の猫のみである。その猫は黒と白の大きな斑点を持ち、しっぽはさながら捻じ曲げられて折られたかのようだ。ネズミに対する執着心は皆無で、ただただ女性に抱きしめられてなでられることを無上の喜びとしている…」。
【海外のジャパニーズボブテイルの伝説】
“囲炉裏から火が尻尾に燃え移った猫が驚いて町を駆け巡り、都を焼け野原にしてしまった。怒った帝が二度とそのようなことが起こらないよう、全ての猫の尾を切り落とせと命を出した、これがジャパニーズボブテイルの起源とされる”
北アメリカの猫種認定機関の遺伝審査委員「グロリア・スティーブンス」
「ジャパニーズボブテイルは、日本の町で普通に見掛けることのできる猫」
米国ワシントンD.C スミソニアン博物館の『フリーアー芸術展』
長毛の猫を描いた15世紀の大きな絵画の猫はジャパニーズボブテイル。
【短い尾を持つ猫の品種】
千島列島をその発祥地とする「クリルアイランドボブテイル」(原産国ロシア)
米国の地で生まれた「アメリカンボブテイル」(原産国:アメリカ)
マン島に生息してきた「マンクス」(原産国:イギリス)
クリルアイランドボブテイルは、遺伝的な類似を有してはいるものの、ジャパニーズボブテイルとは全く異なった種。
アメリカンボブテイル、ジャパニーズボブテイルの遺伝子を継承し生まれた品種との説が提唱されるが、定かではない。
マンクスの短尾は、日本猫と別遺伝子であることが判明している。
アメリカの認定協会「CFA」では、条件を満たすと、家庭猫であってもジャパニーズボブテイルとして認定され、血統書を発行してもらうことができる。
【条件】
1.しっぽの長さが約7.5cm以下であること
2.尾の骨は必ず一つ以上のキンクになっていること
※キンク:「折れ曲がり」の意。 しっぽの途中から急に折れ曲がったような形をしているもの。
⑭シャム/サイアミーズ(原産:タイ)
シャム猫、英語名サイアミーズ(Siamese)というタイ原産の短毛種の猫。
アユタヤ朝の古書によれば1300年代からタイ王室のみで飼育、門外不出とされてきました。
1879年、最初にアメリカにやってきたのは、マサチューセッツ州ニュートンに、タイ、バンコクの米国領事館から当時のラザフォード・ヘイズ大統領の妻ルーシー・ウェブ・ヘイズへの贈り物としてペアのシャムでした。
1884年、タイのイギリス総領事だったゴールド氏が退官の際、王室よりペアのシャム猫を贈呈されたのが世界に知られるきっかけとなります。
1885年、ロンドンで開催されたキャット・ショーでシャム猫が賞を総なめにし脚光を浴び、
1978年、アメリカに輸入され人気が拡大、アメリカでは最も人気の高い猫として愛されてきたようです。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、第一次・第二次世界大戦の時代になると、食糧難や生活の不安定のため、絶滅の危機に瀕してしまいました。
すでに世界中に広がって飼育されていたシャムでしたが、ペルシャなどほかの猫種へ人気が移っていたことも減少に拍車をかけました。
戦後、著しく個体数が少なくなったシャムを復活させるために、交雑が行われた時期がありました。
この時の交雑でシャムは大きく分けて2つのタイプに分かれることになります。
ほかの猫種に比べて「V字型の頭と細身の体」というプロポーションのシャムでしたが、交雑によりソリッドな容姿がより一層、強調されるようになったのです。
このタイプのシャムを「モダンスタイル」と呼び、交雑前のやや丸いスタイルに近いものは「トラッドスタイル(オールドスタイル)」と呼ばれています。
キャットショーでは「モダンスタイル」ばかりが評価される時代が続いており、この偏りに危機感を感じた繁殖家たちが、1980年頃からドイツやイギリスを中心に、伝統的なスタイルの保存が必要という視点から、「トラッドスタイル」のシャムについても育種が続けられました。
熱意ある繁殖家の努力により、「オールドスタイル」のシャムは「タイ」という新しい名前で、2009年にTICAに登録されることになりました。
⑮シャルトリュー(原産:フランス)
・シャルトリュー派の修道士が宣教できたアフリカに渡った際、ねずみ駆除ために数匹の猫を寺院に持ちかえったのが祖先だとされる説。
・シリア出身の猫の子孫だという説。
・十字軍の時代に欧州に持ち込まれた猫の子孫であるとする説がある。
名前の由来では、
・フランスのカルトゥジオ修道士が生み出したシャルトリューズという名のリキュールにあるとする説。
・18世紀前半のスペインの羊毛の名から付けた説が提唱されている。
いずれもフランス地方の文献による記述が主となっているため、フランス生まれという事は間違いないとされている。
18世紀、博物学者「ビュフォン」から「フェリス・カートゥス・コエルレウス」という名を与えられた。
これはラテン語で「鋭い声をもって鳴く暗青色の猫」を意味する。
第一次世界大戦で、絶滅の危機に瀕するもフランス国内のブリーダーらによる保存が取り組まれた。
第二次世界大戦時、フランスのねずみ取り用として飼われていたこの猫の被毛の美しさや撥水のよさ、暖かさから乱獲され、また絶滅寸前という状況にまで陥った。
そこに、フランス・ブルターニュのベル島に住んでいたルジェという名の姉妹がド・ゲルヴールという名の猫牧場を作り、生き残りを保護し、銀灰毛のペルシャとブリティッシュショートヘア(ブルー)と掛け合わせ繁殖させた。
1970年代、日本に輸入された。
この時期の地元フランスでは本来のシャルトリューに加えてブリティッシュブルーも「シャルトリュー」と呼ばれていた。やがては別物として完全に分離される。
1987年、CFAに公認。
フランスを代表する猫でもあるため「フランスの宝」、「生きたフランスの記念碑」と言われている。
また、「修道院の猫」「犬のような猫」「微笑みの猫」といったニックネーム以外にも、後ろ足で立つのが得意で手招きするしぐさから「ベアキャット」という愛称も持つ。
シャルトリューは、ロシアンブルーおよびコラットと並んで、「三大ブルー」と呼ばれている。
⑯シンガプーラ(原産:シンガポール)
もともとシンガポールに生息していた野生の猫なのだが、現地の人に興味をもたれる事は無く、シンガポールの下水溝で暮らし、ねずみ等を狩って生活していた事から「ドレインキャット」(下水猫)と呼ばれていた。
1970年代初め、メドゥ夫妻は夫・ハルの赴任する東南アジアで、現地の動物保護団体SPCAからティックド・タビーの小さな猫を引き取り、他の数頭の猫たちと共に暮らしていた。
1975年、彼らが任期を終えて帰国することになった時、5頭の猫たちを連れてアメリカに戻ることになった。
メドゥ夫妻がアメリカに帰国しシンガプーラの育種を始めてから、わずか6~7年という異例の早さで、1979年にはTICA、1988年にはCFAのチャンピオンシップにも登録されることになった。
その後キャットショーに出陳され、成猫であっても大変小さく、独特のセピア色のティックド・タビーという美しい毛色と猫らしくない人懐こさで、わずかな間に人々の心を捕え、「小さな妖精」と呼ばれ多くの人に慕われることとなった。
現在公認されている純血種の中では、世界最小の猫種となっている。
※1987年になると、メドゥ夫妻から早くにシンガプーラを譲り受けた繁殖家ジェリー・メイスもシンガポールを訪れ、新たに基礎猫を輸入して、アメリカへ連れ帰った。この時、メイスはメドゥ夫妻によって、アビシニアンがシンガポールに持ち込まれた記録を発見してしまった。アビシニアンはシンガプーラとよく似た猫であり、交雑が行われていたとすれば、土着の純血猫ではなくハイブリッドである可能性が出てくる。
実は、メドゥ家には先住猫としてバーミーズとアビシニアンがいたことから、シンガプーラは土着の純血猫ではなくバーミーズ、アビシニアンが交雑したのではないかと疑問を持たれたことで、いまだ決着していない議論になっている。
この件を調査したCFAは、バーミーズあるいはアビシニアンが交雑されていたとしても、メドゥ夫妻がシンガポールの捨て猫を譲り受けて交配したことは間違いのない事実として、シンガプーラの登録を取り消すことはなかった。
⑰スコティッシュフォールド(原産:イギリス(スコットランド))
歴史
18世紀の中国の文献に、耳の垂れたネコの記述があり、耳折れの猫は昔から存在していた。
1961年、スコットランド中部・テイサイドの農場に、耳の折れ曲がった白いメス猫「スージー」がいた。
1963年、スージーの生んだ子も、耳が折れており、近所に住んでいたウィリアム&メアリー・ロス夫妻が白い子猫を1匹譲り受けた。
その猫は「スヌック」と名付けられ、「ブリティッシュショートヘア」と交配し、出産した雄の白猫は「スノーボール」と名付けられ、地元の展覧会へ出陳されるなどした。
折れ耳同士を交配させると、ほぼ100%の確率で折れ耳の子猫が生まれ、「スコティッシュフォールド」が計画的に繁殖されるようになっていった。
遺伝学者パット・ターナーは、遺伝的な影響を考慮し「アメリカンショートヘアー」と交配が繰り返され、スコティッシュの原型が出来た。
当初は垂れ耳ウサギ(lop-eared rabbit)にちなんで「ラップ」と呼ばれたが、後に「折りたたまれた」という意味で「フォールド(fold)」に変更された。
イギリスの血統猫登録団体GCCFは、1966年に登録したが、骨格と聴力の異常が続発したため、
1971年に登録と繁殖を中止している。
イギリスでは、繁殖を中止することになったため、アメリカへ輸出され繁殖を続けられることになった。
ブリーダーや遺伝学者の協力を得て試験交配を重ね、折れ耳は単独の優性遺伝子であることが判った。
研究が進むにつれ、折れ耳同士の交配は同型接合性障害(垂れ耳や近親同士を交配させることで現れる骨格障害)が確認され、「ブリティッシュショートヘア」や「アメリカンショートヘア」との異種交配、もしくは「立ち耳のスコティッシュフォールド」との交配が原則とされている。
その結果、耳以外の変形発生率が下がったため、
1977年、CFAが猫種として登録。
1978年、アメリカのすべての血統猫登録団体から猫種として認定。
1978年に「ショートヘアー」、1980年半ばに「ロングヘアー」が、CFAに承認された。
特徴
突然変異で生まれた垂れ耳の猫を交配して作った品種で、特徴である折れ耳は、ゆるい1つの折り目(シングルフォールド)、ぴったりした折り目(ダブルフォールド)、三重の折り目(トリプルフォールド)がある。
遺伝確率は約30%といわれており、生後2~3週目くらい徐々に耳が折れ曲がり始める。
「耳の先に触れずに頭上に手を乗せられる唯一の猫」でもあり、小さく折り畳まれた耳に大きな眼という特徴から、その外観はフクロウのようと形容される
筋肉質でがっしりしたセミコビータイプ。
短毛・長毛とも被毛は密生していて弾力がある触り心地。毛色は全色OK。
短めの首、丸い顔、丸みを帯びた小柄な身体と全体的に丸みを帯びており、尾は柔軟性のあるものが好まれる。
体長は、約60cm。
体重は、メス:3~5キロ、オス:3~6キロ。
人間のような座り方をするスコティッシュフォールド特有の座り方を『スコ座り』と言い、別名で『ブッダ座り』とも言われる。
性格
性格は優しく温和で、愛嬌があり、甘えん坊なので、飼い主と遊んだりそばにいることを望む。
見知らぬ人にも甘えてゆくほどに人懐っこく、犬を含め、他のペットも受け入れるほど寛容で、特別な飼育環境も必要としない。
もちろん例外もおり、目が合えば逃げ、要求のある時だけ鳴きもせずに人の前を横切ることによって、餌が欲しいことを主張する。抱かれるのを嫌がる、自分の世界を淡々と生きている個体も多くいる。
飼い方
比較的運動量の少ない種類の猫で、運動不足から肥満になりやすい。
肥満は足腰や内臓に負担がかかり、結果健康を損ねる可能性があるので、適切な体重を保つように気をつけたい。
垂れ耳の場合、耳の中が湿りやすく、トラブルが発生しやすいため、定期的な耳のチェックを行いたい。
お手入れは、短毛種なら2~3日1回のブラッシング。
長毛種なら1日1回のブラッシングが望ましい。
⑱スノーシュー(原産:アメリカ)
歴史
スノーシューは雪の中で遊ぶ子猫のイメージから、雪の中を歩く靴(Snow「雪」Shoe「靴」・snowshoe/日本語「かんじき」)という意味でつけられました。
スノーシューの歴史に関する記録は、他の猫種に比べると、ほとんど残っていません。
記録保管が不十分だったこともありますが、一番の理由はスノーシューの毛色が原因と思われます。
スノーシューの祖先であるシャムは、ごくまれに突然変異でホワイトの模様が入ることがあります。
しかし、キャットショーでは、ホワイトの模様はシャムとして認められていません。
当時、シャムのブリーダーは、「今まで排除していた、ホワイトの毛色にさせる要素を多く持ったシャムをあえて作り出した」と考え、反感を抱いていたと思われます。
1960年代、米国ペンシルバニア州・フィラデルフィアでシャムのブリーダー「ドロシー・ドハティ」が偶然見つけたことがきっかけでした。
ドロシーは、生まれた子猫の中に、足の先端が白い子を3頭見つけます。
それに魅力を感じ、アメリカンショートヘアと掛け合わせ、育種を試みました。
その結果、四脚が白く、顔に白のハチワレ(額から頬にかけて、八の字のような模様)の入った、シャムやアメリカンショートヘアとは容姿も性格も全く異なった新種の猫を誕生させることに成功します。
しかし、この交配をシャムのブリーダー達は猛反対しました。
理由は、古い時代のシャムには足先など身体の一部にホワイトのスポットが入ることがあり、これは欠点としてキャットショーで失格になります。
これまで排除してきた欠点を「魅力的なもの」として繁殖させる批判や、シャムに混雑する恐れから、認められませんでした。
現実的な問題として、足先の白は劣性遺伝で、安定して発現せず、ドロシー自身も育種をあきらめてしまいます。
1960年代以降、人々のスノーシューに対する関心は次第に低下していきます。
1977年、スノーシューのブリーダーはたった一人しかいなくなってしまいました。
シャムのブリーダー「ヴィッキー・オランダー」が育種を引き継ぎ、猫種標準スタンダードを作りました。
そうして、徐々に関心を取り戻し、1989年にはブリーダーが30人弱にまで増えたことが記録に残っています。
ヴィッキーは、アメリカのCFFなどの猫種登録団体で新種として予備登録するために尽力し、
1980年代、CFFに公認されました。
1986年、イギリスでも育種が始まり、2013年に登録されることになります。
また、遺伝子プールを広げるためにドイツから輸入した基礎猫によって、アプリコットカラーの遺伝子も導入されました。
1994年、ついにアメリカのTICAで純血種として登録されました。
現在でも、シャムの「ミスカラー」である劣性遺伝子からつくられた、白い靴下を履いているような毛色(ホワイト・ミトン)なので、ほとんど発現せずに、シャム同様の毛色パターンになってしまうこともあります。
性格
愛情深く甘えん坊で遊び好き、人のそばが好きな寂しがりやで、常にかまってもらいたがります。
家族の中で1番好きな人を決め、ついて回る子もいるそうです。
シャムの血を引いているためによく鳴きますが、声はさほど大きくはありません。
社交的で他の動物とも仲良くなれて、子どもがいるご家庭でも大丈夫です。
多頭飼いがおすすめで、留守番などはなるべくさせず、一人にする時間を長くしないようにしましょう。
猫には珍しく、水遊びが好きな猫種で、泳ぎが得意な個体もいます。
特徴
体型は、セミフォーリンタイプ。
アメリカンショートヘアのどっしりした体型と、オリエンタルのスリムな体型を併せ持ちます。
平均体重は、オス:3.8kg~6.4kg、メス:3.0kg~4.5kg
頭は丸いタイプが多く、少数でシャムのような逆三角形のシェイプをしたものもいます。
しっぽは長くまっすぐで、耳はやや大きめで先端が丸くなっており、目の色は青色です。
毛色は靴下を履いたように4本とも白くなっているものが好ましいとされていますが、全部の手足に出ない個体や、ほとんど出現しないものも存在します。
同様に胸の白や顔の逆Vのパターンも出現しないことがあります。
ベースの毛色はライラック、ブルー、チョコレート、シール・ポイントなど幅広くあります。
ポインテッド・カテゴリのソリッド・ポイントでユーメラニン系のカラーのみ、パターンはミテッドとバイカラーのみが認められています。
⑲スフィンクス(原産:カナダ)
毛のない猫は古くから世界各地で産まれており、古代アステカ文明(メキシコ)や、ニューメキシコ、フランス、中東などでも記録が残っている。
現代では、無毛の猫は、奇形ではなく劣性遺伝子による自然発生する突然変異であることがわかっているが、昔は価値が認められず処分されてしまい、その存在は近年まで取り上げられることがなかった。
スフィンクスの始まりは、1966年にカナダのトロントで産まれた突然変異の猫が発端。
親は白黒の普通の毛で生まれた子は「プルーン」と名付けられ、本格的な繁殖が始まったのだが、遺伝的な疾患などによりプルーンの子孫は絶滅してしまう。
その後、1975~1978年にかけて、アメリカ・ミネソタ州と、カナダのトロントで無毛猫が見つかり、その母猫は何頭かの無毛の猫を出産、うち2匹がヨーロッパへ輸出され、デボンレックスと交配された。
現在、その4頭がスフィンクスの原型になったと言われている。
1980年、TICAに新猫種として認定。
遺伝疾患を防ぐため、近親交配を避け、異種交配が計画され、アメリカンショートヘアとデボンレックスが交配に使われた。
しかし、デボンレックスとは良い結果が出なかったため、現在はアメリカのCFAはアメリカンショートヘアまたは土着のショートヘアとの異種交配を。イギリスのGCCFでは、アメリカンショートヘアとロシアンブルーの交配を認めており、各血統書団体によって異種交配のルールが異なっている。
名前の由来は、ルーブル美術館にある古代エジプトの猫像からつけられた説、エジプトの石像スフィンクスからつけられた説などがある。
有名なスフィンクス(sphinx)とは綴りが異なり、猫のスフィンクスは「Sphynx」、エジプトの彫像は「Sphinx」となっている。
かつては原産国にちなんで「カナディアン・ヘアレス」とも呼ばれていた。
1997年製作のヒット映画『オースティン・パワーズ』にスフィンクスが登場したことから、世界的にも有名に。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『E・T』のモデルになっている。
フランスの家庭で飼育されていたオスのスフィンクス「グランパ」は、長生き(34才2か月)でギネスブックに載っている。
⑳セルカークレックス(原産:アメリカ)
原種は、雑種とペルシャとの仔いわれているが、定かではない。
ヤマネコとペルシャが掛け合わさったという説もある。
この猫が発見された経緯から、別名「奇跡の猫」といわれている。
1987年頃、アメリカ・モンタナ州の動物保護施設に5匹の保護された子猫がいた。
ブリーダーの「ジェリー・ニューマン」が施設に来た時、1匹の珍しい巻き毛の子猫が目に止まり引き取った後、「ペスト」と名付けた。
兄弟猫は全て直毛、当時モンタナ州にコーニッシュレックスやでボンレックスがいなかったため、ペストを突然変異と考え、繁殖を開始した。
まず、自身の繁殖させている黒いペルシャと交配をさせると、6匹のうち3匹が巻き毛で生まれ、突然変異ではなく遺伝であったと確信した。
次に、他のブリーダーに協力を仰ぎ、本格的にブリーディングを開始。
長毛の毛質と人懐こさを高めるためにペルシャを、
忍耐強い性格を与えるためにブリティッシュショートヘアを、
明るい性格を与えるためにエキゾチックショートヘアとの交配が行われた。
こうして、ペットとしてふさわしい容姿と性格を持つ、新しい猫種として育種は勧められた。
1990年にTICAで新品種登録のための予備期間として経過観察を開始。
1992年、TICAに新猫種として認定登録される。
1998年、CFAにも認定登録された。
CFAでは純血種として遺伝子の多様性を確保するために、アメリカンショートヘア、エキゾチックショートヘア、ヒマラヤン、ブリティッシュショートヘア、ペルシャとの異種交配を認めた。
2010年1月1日以後、ブリティッシュショートヘアのみの異種交配とし、
2015年1月1日以後、セルカークレックス以外の猫とのアウトクロスは認めないとした。
※アウトクロスとは:5代血統表の中に全く共通した祖先がいない場合のことを指します。
名前の由来は、アメリカのワイオミング州近くにあるセルカーク山脈から由来し、「セルカークの巻き毛猫」という意味で「セルカークレックス」と付けられた。
㉑ソマリ(原産国:イギリス)
ソマリはアビシニアンの長毛種だが、現れ始めたのは1950年頃からと言われている。
第二次世界大戦後、多くの純血猫種が激減。種の復活のため、異種交配が行われた時代。
アビシニアンも当時イギリスに12匹しか残っておらず、長毛種も異種交配により生まれたと考えられ、繁殖者はアビシニアンの長毛に否定的だった。
アビシニアンのブリーダーは、長毛タイプはショーには出せない為、一般の飼い主に譲ったりしていた。
1963年、カナダの血統登録団体CCAが主催するキャットショーで、繁殖者メアリー・メリングの悪戯で、本来出さない長毛のアビシニアンを審査用ケージに入れ、ショーキャットたちの混ぜて置いた。
これを発見した審判員ケン・マッギルが大声をあげ、ブリーダーたちは爆笑したが、マッギルはこの長毛のアビシニアンの魅力に声を上げていたのだった。マッギルはメリングから長毛のアビシニアンを購入し、ソマリの育種が始まった。
その頃、別の場所、アメリカではアビシニアンの繁殖家イブリン・メイグが、生まれた子猫「ジョージ」をペットとして一般の飼育者に譲渡していた。しかし、猫アレルギーで飼えなくなり、猫は保護施設に。メイグは猫の保護活動もしており、たまたまいた長毛のアビシニアンの美しさに魅入られ、さらにその猫がジョージであることを知った。
アビシニアンの長毛・短毛の評価の差を知り、ロングヘアのアビシニアンを受け入れられるよう育種が始められた。
イブリンは長毛のアビシニアンをエチオピアの隣国ソマリアからとって『ソマリ』と名付け、繁殖活動を続けた。
1972年、アメリカでソマリファンが急増し、ソマリキャットクラブ創立。認可に力を入れるが雑種の疑いから認可されなかった。
1976年、場所は変わってカナダのマッギルの長毛アビシニアン、他4匹の猫を対象にウォルターが大々的な血統分析を行い、全てアビシニアンの遺伝子のみであったと証明した。
この分析結果はアメリカのソマリキャットクラブから「Genesis(創世記)」と呼ばれている。
1978年、CFAはアビシニアンとは別の独立種として認定した。
なお、近年の遺伝子解析による研究から、ソマリが長毛になったのは異種交配が原因ではなく、突然変異であったことがわかってきた。
㉒ターキッシュアンゴラ(原産:トルコ)
歴史
ターキッシュアンゴラは、中央アジア山地の野生種「マヌルネコ」を基礎に、自然繁殖したのが祖先と考えられており、
最も古い猫種「ペルシャ猫」の祖先という説があります。
最も古い正式な記録は、1600年代にトルコのアンカラ地方に生息していたものですが、その数百年前にはいたのではないかと考えられています。
当時から、白く美しい姿であったとされ、ヨーロッパを始め世界中の王族や貴族たちから人気を博しており、中世フランスでは、ルイ15世やルイ16世を始め、王妃マリーアントワネットにとても愛されていた猫だと知られています。
1600年代初期、トルコの行商人が「アンカラ・キャット」というトルコの首都の名前をつけ、フランスに運びました。
当時は、短毛種が主流だったため、ヨーロッパの上流階級の間で話題になり、珍重されるようになります。
その後、イギリスへ渡り「ターキッシュアンゴラ」と名前を変え、一般の人々にも愛されるようになります。
1900年代初期、イギリスで、長毛猫の王様「ペルシャ」を改良するためにターキッシュアンゴラを交配させることが多くなり、ずんぐりむっくりとした体型の子が増え、純粋な血統が減少していきます。
その頃のヨーロッパでは、ペルシャは「アンゴラ猫」と呼ばれ、上流階級の人々に「最高の愛玩動物」として広まっていました。
1954年、アメリカでの人気が高まり、ターキッシュアンゴラのブリーダーが多くいましたが、1960年に入ると人気はペルシャに代わり、ヨーロッパやアメリカで更に数を減らしていきます。
その頃勃発した第2次世界大戦により、繁殖は後回しにされ、ターキッシュアンゴラは絶滅の危機に直面します。
原産国であるトルコは、この状況を看過しませんでした。美しい宝石のような猫を国の宝として、首都アンカラの動物園でターキッシュアンゴラの保存を進めることにしたのです。
以降、トルコでは、ターキッシュアンゴラが国外で繁殖されることで、その特徴が失われることを懸念し、ホワイト単色の被毛とオッドアイのみを純血種とし、繁殖や譲渡などが慎重に行われるようになりました。
その影響もあって、アメリカやヨーロッパでも慎重に扱うようになり、ずんぐりむっくりとした体型を元の体型に戻そうと、シャムと交配をさせる活動も始まりました。
現在、トルコで保護される純血種と、シャムとペルシャの入った2種類のターキッシュアンゴラが存在しています。
血統の登録は団体によって認められている種類が違います。
アメリカのCFAでは、純粋なターキッシュアンゴラ以外は認めていません。
欧州のFIFe、世界猫連盟WCFでは、ポインテッド、シナモン、チョコレート、フォーン、ライラックからーは登録できません。
アメリカ・テキサス州のTICAでは、全ての毛色とパターンが承認されています。
20世紀に入り、1人のアメリカ軍人が、アンカラ動物園でターキッシュアンゴラを見初めました。
しかし、アンカラ動物園は猫たちの譲渡に難色を示しました。
1962年にようやく、アメリカ軍人グラントの妻「リーザ」は、夫を通じてターキッシュアンゴラのつがいを1組、譲り受けることができました。
彼ら以外にも数人のアメリカ人や軍人がターキッシュアンゴラを譲り受けて持ち帰り、この時の猫たちを基盤にアメリカで改めてターキッシュアンゴラの育種が始められることになりました。
1973年、トルコ原産のターキッシュ・アンゴラにつながる血統を持つ猫に限って、CFAで公認されるようになりました。
ターキッシュアンゴラは、その姿と性格から「歌いながら歩く猫」や「バレリーナのような猫」とも呼ばれています。
また現在では大変希少な猫とされ、トルコでは「トルコの生きる国宝」とも呼ばれ愛されています。
㉓ターキッシュバン
㉔デボンレックス
㉕トンキニーズ(原産国:ミャンマー)
トンキニーズの起源は諸説あり、1800年代に行われたキャットショーに出場したシャムが始まりと言う説。
1930年代にアメリカの軍人であり、愛猫家であったジョセフ・トンプソン氏が、ミャンマーから持ち帰り「ウォン・マウ」と名付けた1匹の猫が始まりと言う説などがある。
しかし、そのいずれも明確な記録が残っていないため、記録が残っている1950年代にシャムとバーミーズを交配させて誕生したと言うものが原型と言われている。
最初の繁殖は1950年代のニューヨークでペットショップを経営していたグリーア氏が「黄金のシャム」の作出を試みて、シールポイントのシャムと、セーブルのバーミーズを交配、チョコレートポイントのトンキニーズが誕生した。その後、1960年代にカナダとアメリカでほぼ同時にブリーディングが再開。
品種改良が進み人気が上昇、1971年にCCA(カナダ猫協会)が世界初、トンキニーズを公認。その後、1979年にCFA、TICA公認となった。
トンキニーズは当初、トンカ二―ズという名称になるはずだった。
「South Pacific(南太平洋)」というミュージカルに登場する人種の壁を越える島「Tonkanese(トンカニーズ)」がその由来だった。
ところが、当時、原産地が名前に採用される猫種が多かったため、原産国であるインドシナ半島のトンキン地方、またはベトナムのトンキン湾が由来であると誤解され、トンキニーズとよばれるようになり、1967年より正式に採用され登録された。
㉖ノルウェージャンフォレストキャット(原産:ノルウェー)
原産地域の寒冷気候への自然適合として起こった非常に古い種類の猫である。
起源は、11世紀ごろにスカンジナビア半島のバイキングが古代ビザンチン帝国(現トルコ)から連れてきた長毛種の猫(マン島の猫の先祖であるターキッシュアンゴラ)と地元のショートヘアーの交配により誕生したという説が有力。
ノルウェーで広く愛されていたノルウェージャンフォレストキャットではあったが、初めは品種としての認識ではなく、普通の飼い猫という認識であった。
1930年代にドイツのキャットショーに登場するが、まだ少数で、その後、少しずつではあるが人気を増していくのだが、第二次世界大戦により、盛り上がりかけていた人気が一気に下降線を辿った。
一時期は数が減り、絶滅の危機に瀕したことさえあった。
1970年代に頭数の確保に対する意識が高まり、1979年にアメリカへ渡り、1984年に正式に品種として公認されて世界へ向けて発信されるものとなった。
しかし、外見がメインクーンに似ていることからCFAでは公認されず、18年後の1997年にようやく公認された。
ちなみに正式名称が長いことから、アメリカなどでは『ウィージー』の愛称で親しまれている。
㉗バーマン
㉘バーミーズ(原産国:ミャンマー)
歴史
それぞれ異なった身体的特徴を持つ、アメリカン・バーミーズとヨーロピアン・バーミーズの2種があり、バーミーズは主にアメリカンバーミーズを指し、ドッグキャット、コンパニオンキャットなどとも呼ばれています。
バーミーズの先祖は、ミャンマー(旧ビルマ)の土着猫で、タイのアユタヤ王朝時代(1351年~1767年)の書物『キャット・ブック・ポエム』にも登場する古い歴史を持っています。
1930年、アメリカのサンフランシスコに住むジョゼフ・トンプソン医師が、ビルマのラグーン(現ミャンマーの首都・ヤンゴン)にある寺院で「ウォンマウ」と呼ばれる濃い茶色のメス猫を持ち帰りました。
ウォン・マウとサイアミーズ(シャム猫)を交配しました。
このシール・ポイントのサイアミーズ「トム」との間に、「ポイントカラーのサイアミーズ」「濃い茶色に濃いポイントカラーを持つ猫」「全身が濃い茶色の猫」の3匹の子猫つくりました。
これを母猫と交配し、サイアミーズやアメリカン・ショートヘアとも交配していきました。
1936年、CFAに公認。
1940年までに、バーミーズの美しい被毛は大人気となり、子猫を求める人の数が急増します。
要求に応えるため、サイアミーズとの異種交配を繰り返した結果、ウォンマウのような美しい茶色の被毛は減り、シールポイントのないサイアミーズに似た猫が多く生まれてしまいました。
1947年、一旦公認を停止し、登録条件に「血統の3代祖までバーミーズのみ」が検討されました。
1956年、登録条件が満たされ、再度公認されました。
1958年、バーミーズの猫種団体は、「アメリカ国内のすべての登録団体で受け入れられるスタンダード(猫種標準)」を記し、理想的なアメリカンバーミーズを目標として発表しました。
このスタンダード制定以降、アメリカンバーミーズより身体の丸いヨーロピアンバーミーズは容姿やそのほかの特徴が異なって記されるようになります。
1979年、アメリカンバーミーズが、CFAでブルーとシャンパン、プラチナの3色を認定されました。
アメリカンバーミーズとヨーロピアンバーミーズとして明確な違いを備えるようになりました。
アメリカンバーミーズとヨーロピアンバーミーズはそれぞれ異なる国で育種され別の猫種として認定されていますが、原産国はウォンマウの祖国・ミャンマー(ビルマ)とされています。
当初、バーミーズは、セーブルしか認めておらず、ダイリュート(ブルー、プラチナ、シャンパン)は「マラヤン」と呼び区別していましたが、現在ではバーミーズ「ダイリュート部門」として統一しています。
名前の由来は、「バーミーズ葉巻」の色とよく似ていることから名付けられました。
特徴
コビータイプ。
アンダーコートを持たない、シングルコートの短毛種です。
被毛には光沢感が見られ、サテンのような手触りをしています。
毛色はセーブルブラウン、シャンパン、ブルー、プラチナの4色です。
なお、特徴的なポイント模様は、地肌よりも少し濃いめに入っています。
目色はゴールドからイエロー。深みと輝きのあるものが好ましいです。
㉙ヨーロピアンバーミーズ(原産:ミャンマー)
歴史
ヨーロピアンバーミーズとアメリカンバーミーズは、原産国であるビルマ(現:ミャンマー)の寺院で飼われていた茶色い猫「ウォンマウ」が基礎とされています
初期のヨーロピアンバーミーズは、イギリスでシャム猫とバーマンの異種交配で茶色い猫を作出しようと試みましたが、育種としては実らずイギリス国内では次第に廃れていきました。
1930年代にアメリカでバーミーズが人気猫となると、イギリスでも関心が集まり、アメリカから輸入されたバーミーズたちを元に、育種が始まりました。
品種の固定化を優先していたアメリカと違い、イギリスでは、より多くの毛色のバリエーションを認める形で育種が進められていきました。
1952年頃、GCCFがバーミーズを新しい猫種として認定されました。
1955年、ブルーの毛色をもった個体が初めてイギリスで誕生します。
調査すると、ブルーの遺伝子は、何年も前にアメリカから輸入されたバーミーズの血統の中に存在していたことが判明し周囲を驚かせました。
1959年にアメリカで新しいバーミーズのスタンダードが確立しました。
イギリスのGCCFは、イギリスとアメリカのバーミーズは別の猫であるという考えのもと、混血を防ぐため、アメリカのバーミーズと交配した場合、純血として認めないとしました。
1960年、GCCFはヨーロピアンバーミーズのブルーカラーをバリエーションとして認定しました。
1977年、トーティ(3色混合)を含めて4つの毛色パターンも認定されました。
1979年、アメリカンバーミーズが、CFAでブルーとシャンパン、プラチナの3色を認定されました。
アメリカンバーミーズとヨーロピアンバーミーズとして明確な違いを備えるようになりました。
特徴
セミフォーリンタイプ。
シングルコートの短毛種です。
体重
オス:約4.0~6.1kg
メス:約3.1~4.5kg
体高:約25~30.5cm
顔は、ヨーロピアンバーミーズの方がアメリカンバーミーズと比べて輪郭はより丸みを帯びています。
被毛には光沢感が見られ、サテンのような手触りをしています。
毛色は、ブラウン、ブルー、チョコレート、ライラック、レッド、クリーム、トーティシェル、ブラウントーティ、
ブルートーティ、チョコレートトーティ、ライラックトーティがあります。
目色は、イエローからアンバー。深みのある色が好ましいです。
性格
穏やかで賢く、他のペットや小さな子どもにも柔軟に対応することができます。
鳴き声はとても小さく、集合住宅に住んでいても飼いやすいです。
㉚バリニーズ(原産国:アメリカ)
歴史
バリニーズの基礎は、「シャム猫」から極めてまれに生まれてくる長毛で、正式な誕生は不明ですが、由来は諸説あります。
「突然変異で生まれた説」
1800年代半、シャム猫がアメリカやイギリスからタイに持ち込まれた際、長毛の潜性遺伝(劣性遺伝)を持った猫が生まれたことからバリニーズが誕生したという説。
「異種交配による説」
第二次世界大戦後、シャム猫の数が激変したことによりブリーダーたちが異種交配を進めたことにより、長毛の遺伝子が引き継がれていったという説。
記録では、1871年の雑誌のイラストに掲載、1928年にACFFに長毛のシャム猫が記録されています。
1950年、長毛のシャムの繁殖計画は始まりました。
アメリカ・西海岸の繁殖家「ドーシー」とニューヨークの繁殖家「スミス」は、価値が低いとされていた長毛のシャムに惚れ、別種にしようと尽力しました。
名前を「ロングヘアシャム」にしようとし、シャムの繁殖家から反対され、「バリニーズ」とつけました。
由来は、スミスの提案で、「バリ舞踊のダンサーの物腰の優雅さが猫に通じる」と名付けましたが、インドネシアの バリやジャワに関連はありません。
1965年、ドーシーはキャッテリーを手放すにあたり、同じ西海岸の繁殖家「オランダ」に譲渡します。
オランダが譲り受ける以前から、いくつかの猫血統登録団体に新猫種として登録されていましたが、CFAはまだ公認していませんでした。
オランダはCFAにバリニーズを公認登録するために、飼育を希望する繁殖者から種オス探しの相談を受けたり、子猫たちの譲渡先を探すなど、多くの愛好家をつかむため努力を重ねました。
愛好家が増えるとバリニーズの猫種団体を設立し、参加者と共にスタンダードを作成しました。
1967年、CFAのキャットショー出陳のため一時登録。
1970年、念願のCFA公認登録、キャットショー出陳が可能になりました。
1975年、CFAのキャットショーで初グランドチャンピオンを獲得、しかし、オランダはこの世を去った後でした。
1979年、TICAに認定されました。
人気が上がるとカラーの区分に意見が一致せず、繁殖者や愛好家の論争が起きてしまいます。
それは、「従来のシャムと同じ毛色に限る」、「シャムでは失格の毛色も認める」というものでした。
結局、この論争には決着がつかず、バリニーズから別猫種「ジャワニーズ」が派生しました。
アメリカでは、カラーポイントショートヘアに由来する色違いはジャバニーズと呼ばれます。
多くの登録団体では、ジャワニーズはバリニーズの毛色バラエティの1つとして扱っています。
現在、バリニーズの繁殖には、バリニーズ、サイアミーズ(シャム猫)、カラーポイントショートヘア、オリエンタルロングヘアが認められています。
オリエンタルタイプ。
毛色はポイントカラー。
目色はブルー。
㉛ヒマラヤン(原産:北アメリカ、イギリス)
1924年スウェーデンの研究者がペルシャにシャムのポイントカラーとブルーの目を付加させようと考え、ペルシャとシャムの交配を始めた。
ペルシャのロング・コートとシャムのポイントカラーの遺伝子はどちらも劣性遺伝だったため、誕生までに多くの苦労があった。
1930年代、その研究がイギリス、アメリカに引き継がれ、イギリスでは、1938年イギリスのウェップ氏の『クメール』と名付けられたシャムとペルシャのハイブリット猫が誕生している。
アメリカでは、1930年代初期に遺伝子学者のコップ女史がポインテッドの遺伝子に興味を持ち、シャムと長毛の黒猫と交配させ、さらにペルシャ、シャムとの交雑を行うことで育種を進め、1935年にハーバード大学の協力もあり、ポインテッドの特性を持ちつつ、ペルシャの面影を残すヒマラヤンの原型となる長毛種の誕生に初めて成功し、『デビュタント』と名づけられた。
誕生当時は現在のヒマラヤンの体形よりシャムのそれに近く、ペルシャの変種として扱われた。
第二次世界大戦によって一時繁殖計画も中断したが、終戦と同時に多くのブリーダーによって繁殖、改良が試みられ、アメリカのゴーフォース女史の繁殖した「ラクチーター」という名前の猫が、初代アメリカンチャンピオンに選ばれ、彼女により、被毛の色や模様の似たヒマラヤウサギから『ヒマラヤン』と名付けられた。
1955年にイギリスの猫血統登録団体であるGCCFに登録され、アメリカで1957年にCFAによってヒマラヤンとして公認され、その後のタイプ改良などによりペルシャの毛色部門のひとつとして確立された。
TICAではヒマラヤンをペルシャとは別品種として見なしているが、キャットショーでは『ペルシャ』、『エキゾチック』、『ヒマラヤン』が同一グループとして扱われている。
ヒマラヤンは、その魅力的な容姿から長年にわたってキャットショーで多くの賞を勝ち取り、1957年以降、CFAだけでじつに34万頭以上が登録された人気猫種で、CFAでは現在でもペルシャのバラエティとして「ヒマラヤン・ペルシャ」と名づけている。ヒマラヤンの誕生は多くのブリーダーによる努力の結晶によるもので、現在も改良が続けられている。
㉜ブリティッシュショートヘア(原産:イギリス)
ブリティッシュショートヘアはイギリス原産の猫でグレートブリテン島原産とされている。自然発生種に類され、ブリテンの地に源流を有する数多の猫種のなかでも最も古い猫種のひとつとされている。
この品種のブルーの毛色は「永遠の傑作」とも言われ、「ブリティッシュブルー」の呼ばれることがある。
2世紀にグレートブリテン島を侵略したローマ帝国の襲撃の際に連れていた猫と推測され、エジプト由来の短毛猫と考えられている。ローマ軍はネズミから食料を守るために海外遠征に猫を伴っていた。やがてローマ人らが引き揚げたあと、隔絶状態に入った島内で農場や家庭でネズミ退治をしながら暮らし、子を増やしていった。
1800年代にはブリティッシュショートヘアの存在は知られていた。
イギリスに入ってから1世紀近くのあいだ、ほとんど変わらない外見だったが、19世紀の中ごろ、ネズミ捕りにおいて優秀な個体を選択して繁殖させていたことから、改良が始まった。
この当時から、ペルシャなど長毛の猫との異種交配も行われており、長毛タイプも生まれていた。
1871年にロンドンで世界初のキャットショーが開催され、数多の優秀賞を獲得。1901年にイギリスで自国の猫として公認。
第一次大戦前は長毛タイプの方に人気があり、その後、短毛タイプはブリティッシュショートヘアの品種改良に、長毛タイプはペルシャの改良にと分けて交配に使われるようになった。
原産国イギリスの猫血統登録団体であるBCFFは、ペルシャとの交雑に反対していたため、第一次世界大戦後はペルシャとの交配種は第3世代(孫)以降のみブリティッシュショートヘアと認められることになったため、個体数が激減することになる。
20世紀の中頃、第二次世界大戦の時期には食料不足を原因として絶滅の危機に瀕し、現代の形を作ったペルシャとの交配計画が始まる。これによって絶滅は免れたがそれまでに無かった毛色と体型が誕生した。
1970年代、アメリカ合衆国に持ち込まれ、人気を獲得。 1979年にはキャットショー参加資格を得たが、ショートヘアと名付けられながら時々生まれるロングヘアのために、品種の確立には手間取ったが、1980年代にアメリカで幅広い公認を受けた。
21世紀に入ってからは多様な東洋の猫種(オリエンタル種)との異種交配の試みが活発化し、それまでに存在しなかった様々な毛色が見られるようになった。
また、長毛タイプはブリティッシュショートヘアまたはブリタニカと呼ばれ一定の人気を得て、2009年から別の品種としてキャットショーに参加している。
2009年、アメリカの猫種血統登録団体TICAが「ブリティッシュロングヘア」として公認しているが、イギリスではまだ認めていない。
・1620年代、アメリカへの移民の際にメイフラワー号に乗っていたとされるブリティッシュショートヘアは、アメリカンショートヘア種の基礎となったと考えられている。
㉝ペルシャ(原産:イラン)
はっきりとした起源は不明だが、16世紀にはすでにトルコのアンカラを経てイタリアへ渡った長毛種のネコがおり、このネコがペルシャ、あるいはターキッシュアンゴラの祖先であるターキーであると考えられている。
起源で有力な説が、ターキッシュアンゴラとペルシャ(現イラン)の土着猫を交配させ誕生した猫が原型になったとされている。 その他では、イランからアフガニスタン辺りに生息していた土着猫と交配させて誕生したという説、トルコからヨーロッパに輸入された猫が基になっているという説がある。 1871年にイギリスで開催された公式では初のキャットショーにおいてブラック、ブルー、ホワイトのペルシャが出頭されている。そのあまりの優雅さに、訪れた観客達の間で話題になったと言われている。
19世紀の終わりにイギリスからアメリカへと渡り、特徴的な容姿はブリーダーの注目を集め、議論を重ねつつ交配、改良が行われた結果、「猫の王様」と呼ばれるほどの人気を博す猫種となった。
チンチラの歴史
チンチラが登場したのは、1882年のイギリス。
ブルーのペルシャ猫と、雑種の猫を交配させ誕生した猫を「チニー」と名付け、さらにシルバータビーの猫と交配させた。生まれた子の中にシルバースモークのオス猫がおり、「銀の子羊」と名付けられた。これが現在のチンチラの始まりだといわれている。
アメリカでこの毛色が大人気となり、血統として独立させようと、CFAというアメリカ最大の血統登録団体に申請したのだが、ペルシャ猫と見分けるのは毛色以外特に特徴がないことから、この申請は見送られた。
現在、これを独立して認めているのは、南アフリカなどのごく一部の血統団体だけになっている。
しかし、キャットショーでは、ペルシャの中のチンチラ部門というカテゴリーで分けられている。
㉞ベンガル(原産:アメリカ)
1950年代、アメリカのアリゾナ州に住むジーン・サグデンという女性は、美しい被毛を持つ為に犠牲となる山猫たちを減らす方法として「山猫のような美しい被毛の家猫がいればよいのではないか」と考え、アジアンレパードキャット(ベンガルヤマネコ)のメスと黒い家猫を交配させました。
生まれた仔猫の中にはスポット(点)を持つメスがいたが成長とともに父猫と同じ黒い色になってしまいました。
しかし、そのメスから産まれた仔猫たちにはスポットが現れた。その後、ジーン・サグテンはやむない事情で繁殖を断念してしまいます。
それから1970年代、「アジアンレパードキャットが猫白血病に対し先天的な免疫を持っているのではないか」という研究をしていたカリフォルニア大学のウィラード・センターウォール博士がショートヘアのイエネコとアジアンレパードキャットを交配させ、美しいスポット模様を持つ猫を誕生させました。
そのうちの8匹のメスをジーン・サグテンが譲り受けベンガルの原点がスタートしました。
ジーン・サグテンはこれらの猫と野生のインディアンマウ、アビシニアン、アメリカンショートヘア、エジプシャンマウ、シャムなどとの交配を試み、現在のベンガルの基礎を築き上げました。
当初のベンガル猫は、野性が強く残っていたが、多くのイエネコと交配を続けることで、現在のような賢く、温厚な性格のベンガル猫が生まれました。
1983年、「ベンガル」としてTICAに登録。1985年、キャットショーに出し、一躍人気となりました。
1987年にはマーブル(渦巻き柄)のベンガル猫が登場し、アメリカでの人気を確立しました。
今では、世界中でアメリカが一番多く飼わているポピュラーな猫となりました。
※アジアンレパードとはベンガルヤマネコとも呼ばれ、東南アジアの森林地帯に生息する美しい斑点を持つ猫。
体重が3~6kgほどと小さな体で、イエネコと大きさは変わりがありません。ベンガルの猫種名はここから付いています。
㉟ボンベイ(原産:アメリカ)
歴史
アメリカ・ケンタッキー州ルイスビルに住んでいた猫ブリーダー「ニッキー・ホーナー」女史は、自分の人生の「遺作」として最高の猫を作りたいと考えていました。
彼女は幼い頃から猫を愛しており、大人になり「ショウニー・キャッテリー」のオーナーとなりました。
猫舎では、アメリカンショートヘア、バーミーズ、ヒマラヤン、シャムなどを育種し、キャットショーで何度も受賞する名門キャッテリーになりました。
彼女が願った最高の猫は、ブラックパンサーのミニチュアサイズの黒猫でした。
1950年代、ホーナーは、アメリカンショートヘア(ブラック)とバーミーズ(セーブル)を交配し、黒猫を作ろうとしました。
しかし、生まれた子は「貧弱なアメリカンショートヘア」にしか見えず落胆しました。
それから数年、理想の黒猫を作ろうと試行錯誤を繰り返します。
1965年、熟慮し選んだバーミーズ(オス)とアメリカンショートヘア(メス)の交配が行われました。
1966~1972年の6年間で、27頭誕生し、つややかな黒毛と金銅色の目を持つ理想の黒猫を作出しました。
その猫をインドのボンベイ(現ムンバイ)に生息するインディアン・ブラックパンサーにちなんで、ボンベイと名づけました。
ホーナーは、27頭の猫たちを土台に、ボンベイを増やすことで遺伝の多様化をはかるために、27頭の一部とその子猫106頭あまりの飼主や協力者を探しますが、バーミーズの繁殖者仲間から、ボンベイに対する良い関心を得られることが難しかったこともあり、非常に困難だったようです。
ボンベイの育種と選択繁殖のために、多くの協力を得て、CFA登録の要件となる個体数の増加に取り組み、愛好家クラブを設立しました。
1976年、CFAに新猫種として登録されます。
1980年代、多くの猫血統登録団体も公認登録を行いました。
1988年以降、アメリカのキャットショーで重要な賞を獲得するまでになりました。
ニッキー・ホーナー女史はこう語ります、
「繁殖者は生きている傑作を求めて努力する芸術家であり、私の猫たちは芸術的結実です」
彼女は「遺作」ボンベイを遺し、21世紀を迎えることなく世を去りました。
性格
アメリカンショートヘア譲りの明るく活発な性格と、バーミーズから受け継いだ愛情深さがあります。
社交的な子が多く、非常に寛容な部分があり、忍耐強くめったに怒ることもないと言われており、子どもやほかのペットなど、家族の誰とでも仲良くします。
コミュニケーションの取りやすさは時に犬のようだとも言われます。
賢く遊び好きでスキンシップを好む子が多いので一緒に遊ぶ時間をたくさん作ってあげてください。
特徴
黒くつややかな短毛に筋肉質な体を持つ中型のセミコビータイプ。
尻尾の長さは中くらい、足の長さや太さは、体長とバランスが取れています。
特徴としてポウが丸く、小型の黒豹のような姿に金銅色の大きな目をしています。
標準的な体重
男の子:3.5kg-5.5kg
女の子:2.5kg-5.0kg
頭部が丸く、よく発達した力強い顎も丸いので、全体として丸顔。
1ペニー硬貨にもたとえられる目は銅色で大きく、左右の目は離れています。
鼻には、はっきりとしたストップが、目の高さの位置にあります。
耳と耳の間は離れていて、根元の部分が広く、先端が丸い。
被毛は、短く密度が高いため、サテンのような肌ざわりです。
短毛でブラックに限りますが、育種の過程でバーミーズを交配したため、ごく稀にブラウン(セーブル)が生まれます。
目の色は、 金銅色、(アンバーまたはカッパーゴールド)に限ります。
ボンベイの大きさは、平均体重で体高が50cm以上に成長するものを「スタンダード」と呼ぶことがあり、体高が35cm以下の場合は「ミニチュア」といって区別されることがあるそうです。
㊱マンクス(原産:イギリス)
歴史
グレートブリテン島とアイルランド島の間にあるマン島原産の猫種。
8世紀頃、マン島に海賊が住み始めたと言われており、マンクスの先祖は海賊船に乗って上陸したものと考えられている。
その後、突然変異でしっぽのない猫が生まれ、狭い島のため近親交配によって種が固定化された。
17世紀頃、貿易商人によってマン島を出ることとなり、世界中に知れることとなった。
1901年、イギリスで正式に猫種として認定され、「マン島」に因んで、「マンクス」と名付けられた。
マン島では、300年以上前からその存在は知られており、「スタビン」という名で呼ばれていた記録がある。
長毛のマンクスは、イギリスでは「ロングヘアーマンクス」としている。
しっぽのない猫で知られるマンクスは、イギリスのマン島にいた猫の突然変異種と考えられており、18世紀ころからその存在が伝えられていました。
キムリックはマンクスの長毛種で、古い時代から時々生まれることがあったようです。しかし、原産地であるマン島でも、純血猫となって繁殖されるようになってからも、長毛のマンクスは価値の低いものとして長い間、顧みられることがありませんでした。
長毛とはいえ、ペルシャのような立派な長毛ではなく短めのミディアムロングだったことで、好印象を持たれなかったようです。
少ない確率ながら、時々マンクスから生まれる長毛の個体をあえて繁殖させたのは、1960年代のカナダの繁殖家でした。
マンクスには、完全にしっぽのないランピー、尾の骨の1~2節程度が残っているランピーライザー、ごく短いしっぽが折れたりねじれているスタンピー、ボブテイルよりもやや短いしっぽがあるロンギーと4段階あります。すべてのマンクスにしっぽがないわけではなく、両親のかけあわせとそれぞれの発現率は定まっていません。
4~5頭あたり1頭出現するとされるロングヘアのマンクスの中で、しっぽがない個体はさらに少ないことから、キムリックの無尾(ランピー)タイプは大変少ないため、希少価値が高いものと考えられるようになりました。
長毛タイプのマンクスは、ほかの長毛猫との交雑を経て、マンクスとは別の猫種として公認を申請されましたが、交雑がなくとも一定の割合で長毛タイプが生まれることから、別の猫種としては認めない血統登録団体も多くあります。
また、マンクスはイギリス原産の猫ですが、キムリックはカナダで長毛を固定化されたため、原産国をカナダとする場合が多いようです。ちなみに、マンクス原産のイギリスでは、キムリックを別の猫種とは認定していません。なお、キムリックという名前は、イギリスのウェールズ地方の呼び名であるキムルーから取った名前です。
マンクスはしっぽのない個体同士を交配したり、3代続けてしっぽのない個体を繁殖に使うと、妊娠中に死んでしまったり死産になるなど致死遺伝子が働くため、禁忌とされています。
マンクスとキムリックの交配、キムリック同士の交配でも同じです。
近年の猫の遺伝子研究では、マリアン・スワンテクが1987年に発表した著書の中で、キムリックの長毛の遺伝子は突然変異ではなく、ノルウェージャンフォレストキャットが祖先猫に含まれることが理由であると推定しているようです。1960年代、長毛のマンクスは、カナダでの繁殖過程において長毛の猫と掛け合わせた際、偶然発生した。
1970年代、「キムリック」と名付け、認定された。
イギリスのウェールズ地方で愛されている猫のため、「ウェールズ族の~」の意味を持つ『キムルー』からつけられたと言われている。
尾が無いことで神話や伝説があり、ノアの箱舟の話では出発する際、扉にはさんだ為無くなったと記述されている。
その他では、
・海賊が猫のしっぽを帽子の飾りにしようとしているのを知った母猫が、殺されないように子猫のしっぽを噛み切った話。
・ネコとウサギが子を成して、頭はネコ、足はウサギとなったが、尾をどうするか揉め、神様が仲裁して尾をとった話。
・断尾を繰り返していたらしっぽのない猫が産まれるようになった話。
特徴
マンクスの特徴はしっぽが無いことだが、しっぽ無~しっぽ有で長さによっても、それぞれ細かく名前が決まっている。
【ランピー】…しっぽが全くなく、しっぽの付け根部分がくぼんでいる。
【ランピーライザー】…尾椎が1,2個のわずかに短いしっぽがある。
【スタンピー】…短いしっぽがあるが、折れていたりねじれていたりする。
【ロンギー】…一般的な猫の半分くらいの長さのしっぽがある。
※これらは両親の遺伝子型と関係なく発現するため、産まれるまでどのタイプのしっぽになるか分からない。
※ランピー同士の交配は禁じられており、尾無し遺伝子は劣性遺伝子の為、二つ揃ってしまうと致死遺伝子となってしまう。
そのため、尻尾のない子どもが生まれる確率は20%となっている。
※ボブテイルも尾が短かったり曲がっていたりするが、遺伝子的には全く別物だと確認されている。
被毛はダブルコート。「マンクス」は短毛で、「キムリック」はモコモコしたぬいぐるみのようなセミロングが特徴。
毛色はレッド、ブルー、ブラック、ホワイト、クリームなど、さまざまな色が認められている。
体つきは丸みを帯びておりずんぐりむっくりしていて、一般的な猫よりは少し大きめのコビータイプ。
体長は50cm~80cm、体重は3~6kgほど
前足より後ろ足の方が長く、マンクスホップと呼ばれるウサギの跳ねるような歩き方になるため「ラビットキャット」や「バニーキャット」などと呼ばれることもあるのだが、ちゃんと狩りのセンスも持ち合わせている。
また、木登りも得意で、キャットタワーに登るのもお手の物である。
性格
大人しく穏やかな性格で、のんびり過ごすことを好む。賢く忠誠心が強いため飼主以外にはなかなか懐かず、人見知りで臆病なため、危険を察知すると攻撃的になることもある。
病気
無尾同士の交配は危険で、「マンクス症候群」を発症する可能性が高くなると考えられている。
マンクス症候群は遺伝性の疾患で、脊髄に異常が起こりさまざまな障害が引き起こされる。
【症状】
仙骨の無形成や異形成、仙髄(脊髄の下の方)の欠損、脊髄破裂、繋留脊髄、硬膜内脂肪腫、鎖肛(肛門の欠落)、後肢の麻痺や不全麻痺、失禁や排便障害など。
無尾の遺伝子は致死遺伝子で、両親がランピーの場合、死産してしまう可能性が極めて高く、無症状で生まれても数ヶ月後に症状が出てくることも少ないため、短命であると考えられている。
繁殖を行う場合や購入する場合、この点に十分注意する必要がある。
㊲マンチカン(原産:アメリカ)
1944年イギリスのジョーンズ博士の発見が初。
1956年ソビエト連邦のスターリングラードで発見。
1970年米国のニューイングランドで発見。
その猫の体格は多くの人の関心を呼び、検査の結果、健康体であり遺伝子の突然変異だとわかった。
やがてブリーダーの主導で異種交配の計画が始動。
しかし、マンチカンがショーに登場し始めると、短足による遺伝子疾患や健康面の不安を抱く人々と、短足の可愛らしさを賛美する人々で論争が起きてしまい、ショーでは猫種として確立できない「突然変異」と結論付けられてしまった。
そんな中、北アメリカでは繁殖が続けられ、1995年にようやく、遺伝子の突然変異以外には問題のない「短い足」という個性を持った猫種であるとTICAから認定された。
TICAは他の純血種との交配を認めておらず、マンチカン同士もしくは雑種のみ交配を公認している。
他の純血種と交配を認めないのは、他の猫種の骨格の遺伝因子と交雑する事と純血種にみられる遺伝病の危険を回避するためである。
このため、TICAのキャットショーでは、マンチカンの出場条件に「耳が立っていること」という条項がある。これはスコティッシュ・フォールドおよびアメリカンカールの交配を認めていないためである。
また、マンチカンの交配は、基本的に短足マンチカン同士の交配は推奨されておらず、長足のマンチカンと短足のマンチカンの交配や、マンチカンと純血種を除く雑種猫との交配が基本とされる。そのため、短足のマンチカンが生まれる確率は2~3割程度と言われている。
※名前の由来は「オズの魔法使い」に登場するマンチキン「munchkin」(英訳:小さい人、子供)からと言われている。
㊳ミヌエット(原産:アメリカ)
アメリカのバセットハウンドのブリーダー、ジョセフ・スミスは、足の短い犬の熱烈な愛好者で、ドッグショーでジャッジメントなどをしていた。
1995年6月、アメリカの新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事を読み、短足が特徴の猫『マンチカン』の存在を知ることになる。その猫は短足の遺伝子を持つが、足が長く生まれた多くのマンチカンが、保護センターに収容されており、そんな理由で捨てられることに憤り、自らの手で短足猫の固定化を目指すことに決めた。
1996年、猫種として固定されているペルシャとマンチカンを交配。その子猫を、ヒマラヤンやエキゾチックショートヘアといったペルシャ系の長毛種の猫と交配し、生まれたのがナポレオン(後のミヌエット)である。
2001年、TICA(国際猫協会)で「実験種」として予備登録された。
2002年、「登録種」となるが、TICAは「新猫種」として認めてはくれなかった。
2008年、ジョセフはいつまでたっても理想のミヌエットの姿に近づけないことで、育種を断念してしまう。
しかし、サム・テートやマージ・ガードナーらほかのミヌエットのブリーダーが後を引き継ぎ、現在も世界中でミヌエットの育種が進められている。
鼻が低すぎない、足が短いことを共通点にあるが、長毛・短毛のあらゆる毛色が生まれ固定猫種と判断しにくいことで、新猫種として認めない血統登録団体も少なくない。
キャットショーに出展される機会も少なく、日本での認知度は未だ低いままである。
ナポレオンという名前は、足が短く体高が低いことから、身長が低かったフランスの皇帝 ナポレオン・ボナパルトにちなんで名づけられた。
しかし、2015年、 短足の特徴からフランスの英雄の名を猫に与えたことを、フランスが「不敬である」と指摘。品種名を変更せざるを得ない状況になった。
そこで、「英語」Minuet(意:17~18世紀にヨーロッパで流行した舞踏)から、ミヌエットという名に変更された。
㊴メインクーン(原産:アメリカ)
起源は不明であるが、諸説がある。
・カナダ地方の野生猫をルーツとする説
昔は、その風貌から土着猫とアライグマの混血であると考えられておりメイン州のアライグマ(raccoon:ラクーン)を意味する「メイン・クーン」と名づけられたとする説。
・クーン船長の連れてきた猫とする説
ペルシャ系あるいは、アンゴラ系の猫がクーン船長によって、中国から北アメリカ東部沿海地方に連れてこられ、この猫を始祖とする説。
・マリー・アントワネットのアメリカ亡命計画をルーツとする説
1793年にマリーアントワネットが処刑される直前、サミュエル・クロ―船長の助力によりフランスから逃げ出そうと試み、彼女が大切にしていた6匹のターキッシュアンゴラと家具や荷物を船に積み込んだ。王妃を連れていく直前に「息子を置いてフランスを去ることはしない」と拒否され、結局計画は失敗。6匹の猫はアメリカ・メイン州のウィスカセット海岸にたどり着き、それが今のメインクーンの始祖となったとする説
・移民してきた人が連れてきた説
17世紀頃、移民してきた人が連れてきたイングランドの猫と19世紀にメイン州に貿易などで持ち込まれたロシアあるいはスカンジナビアの長毛種の猫が混血化し、現地に適応し生まれたとする説。
・ヨーロッパの猫とアメリカの猫との交配の説
ヨーロッパからやってきた長毛の猫と、アメリカにもともといた短毛の猫が交配して産まれたという説
・ヴァイキングのネコだった説
ヴァイキングの船猫のスコーガット(ノルウェージャンフォレスト)に容姿がよく似ており、この猫が船から逃げ出して、アメリカ土着の長毛の猫の交わり、メインクーンが生まれたという説がある。これが現在、最も有力な説とされている。
メインクーンの語源は、諸説あるようだがその風貌と習性がアライグマ(raccoon:ラクーン)に似ているためメイン州のアライグマからメインクーンとなったようである。
祖先は1600年代頃からネズミ捕りをするワーキングキャットだったと言われている。
1860年頃にはじめてメインクーンとしてキャットショーに出たが人気はいまいちだった。
1861年に出版された「キャプテンジェンクス」という本に世界で初めて黒猫と白猫のメインクーンが載り人気が上昇しはじめた。
1895年にマディソンスクエアガーデンで開催されたキャットショーでは「Cosie」という名のブラウンタビーのメインクーンの雌猫がBest Catを勝ち取った。
20世紀初めにはペルシャ等の華やかな猫種の存在に人気が危ぶまれるが、1950年代にメインクーン協会が設置され、1968年には、6人のブリーダーがメインクーンの保護、育成を目的にメインクーンブリーダー・愛好家協会(MCBFA)を設立した。
ブリードは、メインクーンの特徴である「強く、健康で、ワイルド」な猫を理想とし行われた。
1985年にCFAに認定された。CFAによると、現在では世界で二番目に人気のブリードという話である。
メインクーンは発祥には色々と説があるもののアメリカで最も古い猫種とされている。
北アメリカで自然発生的に生まれ、厳しい自然の中、たくましく生き抜いてきた猫と考えられており、北アメリカ・メイン州の公式な猫として、『州猫』と認定されている。
また、『アメリカンロングヘアー』とも呼ばれている。
㊵ラガマフィン(原産:アメリカ)
【ラガマフィン誕生の歴史】
1975年、アン・ベイカーのラグドールの繁殖に関する独占や、フランチャイズビジネスに疑問を持ったラグドールの開発に携わった人たちの一部が離れ、ラグドールの名前を使ったことで訴訟を起こされるなどの問題を起こしている。
また、多くのラグドールの遺伝子を失ったアン・ベーカーと残った人達は、ラグドールの基礎を作り直す必要があった。
原形となった全ての色において「ポインテッド」と、「ポインテッドではない」バージョンの両方を「IRCAラグドール」として飼育していた。
長い年月の間に、アン・ベーカーから離れ、他の協会に移行していく人達がいる中で、
1994年に、最も大きな団体が、余りにも厳密なブリーディング規則に嫌気が差した為、「IRCA」から離脱した。
この団体が後に、5代に渡る近親交配を危惧していたことから、原形となった全ての色で、「ポインテッド」と、それ以外の猫(ペルシャ、ヒマラヤン、その他長毛種)との掛け合わせが実行され、「ラガマフィン」を作った。
これは、彼らが協会への商標登録問題により「ラグドール」という名前が使用できず、「ラグドール」とは異なった名前で協会に公認を得なければならなかった結果である。
その後、独立した人たちはラグドールをめぐる様々な状況を踏まえ、RAG (Ragamuffin Associated Group) というブリードクラブを設立した。
ラガマフィンはアメリカの猫血統登録団体のACFAのスタンダードにあった条件でブリーディングされてきた。
2001年5月、ACFAでチャンピョンシップステータスを獲得した。
ほかの血統書協会でも、当初は遺伝子プールを広げる目的のため、特定の別種と交配が認められていたが、現在ではほとんどの団体が異種交配を認めていない。
TICAでは、ラグドールとラガマフィンは類似点が多いため公認しておらず、はっきりした差異が認められるまで予備登録期間として観察が続けられている。
現在ラガマフィンを「CFA」や「TICA」に登録するには「ACFA」の血統証明書と5代の血統書が必要である。
サイベリアンとの異種交配やポイントカラーは認められない。 RAGのブリーダーになるには2年以上の見習い期間の後、英語での試験に合格する必要があり、2015年時点までではラガマフィンを輸入したのは2人しかいないため希少である。
ペット用に輸入した個体を勝手に繁殖させていることが考えられ本物のラガマフィンとは毛質や毛ぶきなどが違っている。
ラガマフィンの名前は「いたずらっ子」、「ぼろ服をまとった人」という意味がある。
当初この名前を冗談半分でつけてしまい、登録後の変更ができず、このような名前となった。
㊶ラグドール(原産:アメリカ)
アメリカ・カリフォルニア・リバーサイドに住む「アン・ベイカー」という女性ブリーダーがいた。
ある日、アン・ベイカーの知人「ペネルズ夫人」の裏庭に出入りしていた長く薄い白毛の猫(ペルシャタイプ)が交通事故に遭い、ペネルズ夫人が保護した後、信頼したのか、裏庭で子を産んだ。
その仔猫は、とても大きく、美しいセミロングの被毛は毛玉にならず、もつれなかった。
そして、性格は非常に優しく、抱かれたり、運ばれるとき、完全に弛緩し、その性格と見た目は、アン・ベーカーの興味を引いた。
連れて帰った白毛の子猫に「ジョセフィン」と名付け、シールポイントの猫(バーマンタイプ)と交配し、生まれた仔にバーミーズタイプの猫と掛け合わせ、ラグドールは誕生した。
彼女の元で生まれた猫は、「Raggedy Ann」という猫舎号が個体名の前に名字としてついた。
1960年代初期から、創始者アン・ベーカーを中心としたグループによって飼育され、ラグドールのブリーダーたちを管理する、フランチャイズ経営を展開した。
販売された猫に対してローヤリティを請求するというのもので、彼女から猫を購入し繁殖する場合、契約書にサインをし、承認される必要があった。
1965年、ローラ、デニィ・ダイトン夫妻は、新聞広告からラグドールのを知り、1組みのペアをアン・ベーカーから購入した。
デニー・ダイトン氏は、契約書を送らず、フランチャイズの契約の承認を受けなかった。
ダイトン夫妻によって交配された猫の名字は「Blossom-Time」となっている。
デニィ・ダイトン氏は、メジャーな協会による「ラグドール」の登録を支持しており、彼は「ポインテッド」の作出を推進しており、1965年に、いまは無いNCFAという団体に働きかけている。
1971年、アン・ベーカーは、当時現存する猫協会に「ラグドール」の登録することを反対していたため、「International Ragdoll Cat Association (IRCA)」という彼女自身の協会を創設した。
1975年2月、デニィ・ダイトン氏は、アン・ベーカーから離別し「RFC」(Ragdoll Society)創設した。※現在の「RFCI」(Ragdoll Fanciers Club International)。
離別の際、ダイトン氏と8人のブリーダーは、アン・ベーカーから多くの遺伝子プールを買い上げていた。
このクラブは、3つのカラーである「カラーポイント」「ミテッド」「バイカラー」、4色の「シール」「チョコレート」「ブルー」「ライラック」の飼育を促進し、メンバーの努力と、その後に続く多くの人々の尽力により、「TICA」に公認された。
1975年12月、アン・ベーカーは「ラグドール」という名前を特許申請した。
これは、2005年まで有効で、「IRCA」のブリーダーたちだけが「その名前の使用が可能」とするものだったが、「RFC」のブリーダーたちは、特許取得以前に猫を獲得しており、名前の使用が可能だった。
しかも、すでにTICAに「ラグドール」が公認されており、結果的に、アン・ベーカーは、自らが付けた名前であるにも関わらず、猫を「ラグドール」として呼ぶことができなくなってしまった。
アン・ベーカーの猫は、「本当のラグドール」とか「ハニー・ベア」などの、別名で呼ばれるようになった。
※ソリッド(単色)のラグドールも育てており、「ミラクル」と呼んでいた。
1983年、「ラグドール」がGCCF(イギリスの猫種登録協会)に公認。
2000年、「ラグドール」がCFA(アメリカの猫種登録協会)に公認。
【名前の由来】
「ラグドール」は「Rag」+「Doll」による造語。
「布きれのように柔らかいぬいぐるみ」という意味で、身体的特徴からきている。
これはラグドールの特徴の重要な要素の一つで、ブリーダーたちはこの身体的特徴を「floppy」、「Raggy」などと「まるで骨がないかのよう」と言うことがあるようである。
【ラガマフィン誕生の歴史】
1975年、多くのラグドールの遺伝子を失ったアン・ベーカーと残った人達は、ラグドールの基礎を作り直す必要があった。
原形となった全ての色において「ポインテッド」と、「ポインテッドではない」バージョンの両方を「IRCAラグドール」として飼育していた。
長い年月の間に、アン・ベーカーから離れ、他の協会に移行していく人達がいる中で、
1994年に、最も大きな団体が、余りにも厳密なブリーディング規則に嫌気が差した為、「IRCA」から離脱した。
この団体が後に、原形となった全ての色で、「ポインテッド」と、それ以外の猫(ペルシャなど)を交配させ続け「ラガマフィン」を作る。
これは、彼らが協会への登録問題により「ラグドール」という名前が使用できず、「ラグドール」とは異なった名前で協会に公認を得なければならなかった結果である。
2001年5月、ACFAでチャンピョンシップステータスを獲得した。
ラガマフィンという言葉は「いたずらっ子」「ぼろをまとった子ども」などという意味で、当初は冗談でつけた名前がそのまま定着してしまったらしい。
㊷ラパーマ(原産:アメリカ)
1982年、米国・オレゴン州のサクランボ農家リンダ・コールは、倉庫の作物を守るためにブラウンタビーの猫「スピーディ」を飼っていた。
ある時、スピーディは農園の納屋で6頭出産し、その中に毛のない子猫を見つけた。
毛のない子を初めは心配していたが、元気に育ち、生後2カ月ほどでカールした毛が生えそろい、見た目から「カーリー」(メス)と名付けた。
カーリーは兄弟や親猫たちとともに、コール家の倉庫番として働いていた。
やがてカーリーも成長し子猫を生むと、その子猫たち5頭全てが無毛だった。
当時、すでに毛質のカールした猫種がいた事と、コール夫妻が繁殖に関心がなかった事から、特に疑問には思われず、コール夫妻の猫たちは、倉庫番として年月を重ね、シャムの血統も入り、毛色も毛の長さも様々な巻き毛の猫が生まれていった。
次第に周囲のブリーダーたちに知れ渡り、勧めもあってキャットショーに出展したところ、高い関心を集めた。
こうして、リンダ・コールは、ブリーダーたちの協力で、本格的なブリーディングを開始することになった。
ブリーダーたちは、カーリーの血を引く猫たちを洗練しようと、オシキャットやバーミーズ、シャム (サイアミーズ)と掛け合わせた。
1997年、カールした毛並みに上品な雰囲気、瞬く間に多くのブリーダーの評判となり、ラパーマの愛好家団体が設立。
2003年にTICA、2008年にはCFAと、 アメリカの二大登録団体に新種として登録。
2014年には、FIFe(国際的血統書団体)からも新しい猫種として認められた。
カーリーと子猫たちを調べた結果、他の巻き毛の猫種との遺伝子に血縁関係はなく、突然変異の優性遺伝だとわかった。
また、特徴であるカーリーヘアは、顕性遺伝であり、「デボン・レックス」や「コーニッシュ・レックス」の遺伝子とは異なることがわかっている。
※顕性遺伝:父親と母親から受け継いだ2つの遺伝子のうち、どちらかに異常があると病気が発症する遺伝形式のこと。
名前の由来は、パーマをかけたようなカーリーヘア。パーマの意味のフランス語「la perm(ラ・パーマ)」からつけられた。
㊸ロシアンブルー(原産:ロシア(イギリス))
歴史
ロシアンブルーの起源については定かではないですが、ロシア原産の自然発生種といわれ、ロシア北部のアルハンゲル島にいた灰色の猫が起源とする説があります。
伝説では、「ロシア皇帝が飼っていた皇室の箱入り猫」「ヴィクトリア女王のお気に入りの猫の子孫」と伝わっています。
歴史では、ビーバーやアザラシの毛皮にも匹敵する豪華な毛皮として罠で捕獲されていた記録もあり、ロシアンブルーの高い知能と感覚、用心深い性格は人間に捕まらないために得たものだと考えられます。
過去の名称には、アルハンゲル島の名前からアルハンゲルキャット(英語でアークエンジェルキャット)、フォーリンブルー、スパニッシュキャット、マルティーズキャットなどがあります。
1860年ごろ、ロシアの商船に乗って西ヨーロッパへ渡ってきたとされ、イギリスや北欧のブリーダーたちの手に渡り、初期の頃は「スパニッシュブルー」、「マルタ猫」などさまざまな呼ばれ方をしていました。
ヨーロッパでも高い人気を博し、ビクトリア女王のお気に入りの猫であったとされています。
1875年、イギリスで開催されたクリスタルパレスのキャットショーで、初めて登場した時は「アークエンジェルキャット」として出場しました。
1900年代初頭、アメリカに渡った頃は「マルティーズキャット」として知られていました。
1912年、イギリスで血統登録され、ブリティッシュ・ブルーからクラス分けされ、「ロシアンブルー」となりました。
1939~1945年、第二次大戦によって絶滅の危機に陥ります。
アメリカやイギリスのブリーダーは、窮余の策として、シャム猫とブリティッシュ・ブルー(ブリティッシュ・ショートヘア)、その他のブルーの猫と交配が行われ、数は回復しましたが体型がややぽっちゃり型になってしまい人気が低迷してしまいます。
アメリカのブリーダーたちは豪華で銀色に輝くコートが特徴のイギリスの血統と、エメラルドグリーンのアイカラーとフラットなプロファイルをしたヘッドタイプの優秀なスカンジナビアの血統を融合し、サイアミーズなどの血統を入れ、元のスリムな体型を取り戻し、人気を回復しさせました。
このような経緯によって、現在の原産地はロシアではなく、イギリスとすることもあります。
当初は、細身のロシアタイプとがっしりとしたイギリスタイプの2種類に区別されていたそうですが、
1940年代、ブリーダーによってシャム猫と交配されたことで、現在の手足が長く筋肉質でスレンダーな体型(フォーリンタイプ)になっていきました。
1949年、CFAに登録されました。
長毛のロシアンブルー「ネベロング」:ドイツ語で「薄霧のような猫」という意味
1984年、ロシアンブルーやアンゴラなどとの交配で「ネベロング」が作出されました。
ヨーロッパの協会は、ネベロングの短毛をロシアンブルーで登録できるため、ネベロングの血統が混ざる結果となりました。
アメリカのブリーダーは、ロングヘアー遺伝子の流入を防ぐため、ネベロングの血統を持つロシアンブルーに対して事前に遺伝子検査を行うのが常識的です。
現在のアメリカでは、ネベロングの血統が入っていないのが主流ですが、時と共に血統が混ざることは避けられないと予測します。
すでに血筋は現在の数多くのアメリカの血統に流入しています。
CFAはロシアンブルーの他協会からの単独登録について、現在8世代、全ての猫がブルーで短毛である必要があります。
オーストラリアのブリーダーが白一色の「ロシアン・ホワイト」や黒一色の「ロシアン・ブラック」を作出したが、アメリカでは品種として認定されていません。
特徴
アイカラーはグリーン、目の形はラウンド型。
鮮やかなエメラルドグリーンの目を持ちますが、子猫の時には青色(キトンブルー、キツンブルーとも言う)をしています。
グリーンになるまで2歳くらいまでかかる場合もあります。
被毛は、ダブルコートの短毛種。
毛質は非常に細く、絹糸のようになめらかで、密生したアンダーコートは、寒さに強い。
毛の色はブルーによるソリッド・カラー。
1本の毛がティッピングと呼ばれる数色の色の帯を持つ為、光の加減によって銀色に輝く。
被毛が淡いものの方がスタンダードに近いとされます。
尻尾には光の加減によって見える縞模様(ゴースト・タビー)が見られる事もあります。
体形はフォーリン・タイプ。
体高25~27cm、体重3~5kg。
ほっそりとした優美な体つきと、楔形の頭を持ちます。
筋肉は発達していて運動神経抜群。手足は長く、足先は小さいため、爪先立ちで歩いているように見えます。
横顔は扁平で、鼻筋が真っすぐに通り、「コブラヘッド」と呼ばれます。
口角が僅かに上がっており、微笑んで見えることから「ロシアンスマイル」と呼ばれています。
性格
「犬のよう」だと言われ、猫の中でも、飼い主に献身的な愛情を持つことから言われています。
しかし、猫の中でも人見知りが激しくシャイで神経質な面があるためなかなか慣れませんが、現在はブリーダーの努力によって懐き易くはなってきているようです。
とても賢く、自分でドアを開けたり、飼い主に狩りの仕方を教えることもあるそうです。
雰囲気に敏感で、泣いている赤ん坊をあやそうとしたり、調子の悪そうな飼主の顔をのぞき込んだりすることもあるようです。
家族と認めると子供や他のペットとも仲良くすることができますが、誰か一人に深い愛情を注ぎ続けます
そのため、嫉妬深い子もおり、飼主を独り占めしたがる傾向もあります。
活発で遊び好きだが、ボイスレスキャットと呼ばれるほど声が小さく鳴く事が少ないです。
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